2019年8月29日

徳について

常に自分を掠め取ろうと悪意で接してくる連中と慣れ親しむ意味は、全くない。その時間は無駄であり、不幸にしかなりえない。その或る愛知県民は、どういう理由で悪徳集団に馴れ合うのかも私にはわからないが、この世の有限な生は利他性の高い人達、良い仲間とくらすのが幸福の最低限度の定義である。
 悪い仲間しか見つからない国があったなら、その国で生きていく意味はないだろう。できるだけ早く良い人間のいる国に離脱しなければならない。悪徳集団の中で善行しても無駄である。無限に金を貪りたがる悪徳商人の間で慈善行為をしても、最後まで貪られ殺されるだけである。善人とだけつきあうがいい。
 悪人集団の中で先祖代々二千年生きるより、善良な人達と一時間過ごす方が幸福である。悪徳集団に媚びを売るな。連中と親しむな。悪行を真似たりせず、連中を軽蔑し、遠く離れているがいい。悪人なるものが自滅しなかった試しはない。悪徳全般は自他を損害させるものだ。良い人とだけ時を過ごすがいい。
 億万長者になっても死後に他人の持ち物になる。どれだけ富を消費しても虚しさだけが襲ってくる。虚栄は妬みを買い、金儲けは無駄足だ。この世で価値があるのは利他性だけである。だから見返りを求めない慈善行為を良い人に向けて行い、互いにその連鎖の中で生きるべきで、貪りたがる人を遠ざけよ。
 金持ちを羨むのは彼らが決して幸福でないことを知らない者の妄想である。寧ろ何も持たず生きていながら人々に敬われている者を羨み、その人に近づこうとして生きよ。清貧は富について究極の中庸である。皇室は国民一般を税で貪っているが、彼らが幸福な人といえるだろうか。持たなければ失わないのだ。
 愚者を賢くできると思うな。愚かさのある部分は、往々にして遺伝している。教えを聴き学ぶ能力がある者は、既に賢者の一部である。向学心のない者に教え諭すなかれ。
 愚者の集まりにいて安心している者は、愚者の中の愚者である。その者の末路は衆愚ごとの破滅である。
 肩書、学歴を賢愚の印にしている者は、羊頭狗肉を知らない。だから自らの賢さを隠せ。肩書によって態度を変える者を信用するな。
 無数の愚者に好かれている者は、破滅への崖っぷちに立たされている。ただ一人の賢者と歩む者は、何億人もの衆愚の群れに打ち勝つ。
 身に余る大金を手にした者は、驕り高ぶり進退を誤る。小人物は激しく現世を浮き沈みしている。虚栄を反例とし、この世になにも求めるな。自我の本質を無と悟り、死をも楽しみ、最善の慈悲ある振る舞いを繰り返せ。他人から与えられなかった物を何もとらず、欲しがりもせず、与えられた物で満足せよ。
 悪趣味な作家は、露ほども敬意を払われず死ぬ。
 貪る老人は一刻も早い死を望まれている。この世で惜しまれて死ぬのは永久に失われない財産である徳の持ち主だけだ。
愚者に称賛されるのは賢者に蔑まれるのと同じくらい悪い。
 善悪を見分けられない愚かな人物は、知らずに悪行し不幸に絡めとられる。無法者は或る場所に善意でいても、罰を受けうる。
 愚者に子供がいても、悪人に子供がいても、その子供が幸せとはいえない。
 財産について心配するな、徳について心配せよ。有徳の人物に極貧のくらしをさせる様な集団は、もともと存続の価値がない。
 愚者に罵られたなら、賢者に誉められたのと同じくらい幸いである。
 美貌が健康さの証でなければ、その見た目は作りものである。
 子供らしさを模範にする者は年相応の尊敬を払われない。