2019年8月3日

自見

自分が権威になってしまい、周りの人から正しいことを忠告してもらえなくなったら、最早その人は虚栄に耽り続けるしかなくなる。だから自分と違う意見を好み、単に自分と違う意見を言ってくれるだけでも基本的にはありがたいと考えるべきで、インフルエンサーがやっている類のブロックは最悪手だ。
 単に他見が正しいとは限らないので、他見を全面から深慮し、常に自見を超えた賢さがこの世にあるのを前提に、とりあえず自見としているミームと比較検討し続けねばならない。そして少なくともこの自見を絶対に固定化してはならず、常に、自見の全てを可変可塑にしておかねばならない。
 自見の第一の批判者が常に自分であるよう努めること。このため全他見のうち、最も批判的なそれを進んで自見にとりいれるべく、自見と違和する全情報収集を欠かさないこと。
 自見を無意味に肯定し、「いいね」するいわゆるイエスマン類は情報価値がない。その種の肯定を収集しているのは愚者である。
 本質を穿っていない批判は単なる誹謗に過ぎず一々省みる価値がない。それをしている者自身が悪態を晒すだけで、例え集団でも彼ら自身の落ち度である。
 優れた批判は全言論中で最も自見の誤りを正すのに役立つ。自見が完璧になるのは永遠に不可能だから、常にこの種の言説を、生涯探し続けるがいい。
 愚者に最も喜ばれないのは忠告である。