2019年8月12日

評価経済とは実のない売名性に過ぎない

段々分かってきたが、テレビ・ネット芸人の本質にある下衆さは、一般民衆を愚民視する一種のセレブ俗物根性なのだ。それは有名さを価値とみて中身は問わず、寧ろ学閥・血統・門地差別などメディア売名価値に応じて人を選別するある種の都内社交界の流儀で、一言でいえば堕落した連中の行き着く墓場だ。その種の名士俗物根性、有名スノビズムの頂点が天皇による春と秋の園遊会で、次点が現時点でこれらの劣化コピーである安倍晋三の桜を見る会である。都内マスメディアはテレビにせよネットにせよ、これら以下の売名人らを集めて全国民をわけなく見下す。VALUに代表される評価経済とは、大量売名力だったのだ。
 津田・東両氏が不自由展で大炎上したのは、根底には彼らの名声欲が実力をはるかに超えてしまった構造的必然性がある。あいちトリエンナーレ2019のコンセプトが発表された頃に最初の小炎上がきていたが、あの時点で津田氏を力不足と評しコロスリスト入りされていたろう人達は客観的正鵠を射ていたのだ。
 分限(ディケー)道徳、「汝自身を知れ」。望まず得られた名声しか実態を伴っていない。