2019年8月1日

過激派京アニオタ青葉真司氏は偶像破壊で宗教革命を行った説

報道をまとめると、京アニ放火でリアル炎上させた青葉真司被疑者は、嘗て役所で非正規社員として働いていたが役所の都合で首になってから生活保護を受けていた。かなりのアニオタで部屋からは京アニグッズが沢山押収された。騒音で近隣住民とトラブル時に「俺はおいつめられているんだ」と発言した。で、青葉氏は京アニ主催の「京都アニメーション大賞」に小説を応募した。が、(同社の代理弁護士によると)形式不備のため一次審査でおとされ、社内で共有されていなかった。だが青葉氏は何らかの理由でこの小説が同社のアニメに盗作されたと考えた。そしてこのアニオタは、役所による非正規社員の解雇で経済的困窮に陥っており、現実で余裕がなかった。凶行後の所持金は数千円で、帰宅の旅費すら残っていなかった。
 一方、京アニの方は現時点で13億5348万円の募金を集めた。
 この両者を比べると、一言でいって京アニとは、一種の邪教団なわけだ。以下に詳しくなぜそういえる面があるか解説する。
 青葉氏は恐らくアニオタとして京アニ本社を宗教本部と思うほど貧しくとも決して少なくない金をつぎ込んでいた。だが京アニは彼へ救済を与えるどころか偶像崇拝の嘘でつかの間の慰めを与えたはいいが、応募した小説の方は読みもせず、結局は搾取する一方だった。商業大衆芸術の邪教団として大勢の信者を搾取対象にしている。京アニオタやサブカル俗物らは、国内外問わず中二病の社会病理を無視し、金儲けやロケ地への観光集客目的、あるいは京都単位だと文化中華思想を補完する材料として京アニ礼賛をくりかえしている。京アニをとりまく状況分析を行った某評論家へのネットでの衆愚的名誉毀損は、過激派信者の狂信性を示す。
 ユダヤ・キリスト・イスラム教でしばしば偶像崇拝は禁止されている。だが自然崇拝、神道、仏・儒教に根をもつ日本人らの信仰内でこの徳は軽視される。京アニも当然、非実在の登場人物や背景画でファン(信徒)に偶像崇拝を行わせる。青葉氏は現実と虚構を混同させるこの宗教にとりつかれていたのだ。
 確かにこのアニメ制作会社を偶像崇拝の一宗教本部と解釈したとしても、ファンや信徒は動画視聴、グッズ、俗地巡礼(現場確認)などに満足し、自分から金を貢ぐのだから麗しい共犯関係として放っておけばいいではないか、経済ともいえるのだからと、これまで一般人は大目にみてきたわけだ。

 双極的にファンからアンチへ転化した一アニオタ、京アニ信者が、貧しい中で貢納金を搾り取られた教団本部への凶行で、自身を侵していた現実逃避の妄想世界を偶像破壊した。これが京アニ炎上事件の本質にある宗教革命行為だったのだろう。
 だが青葉氏が十分言語化しきれていなかった宗教革命(偶像破壊)の意図と違って、13億円強を貢いだ信徒の方はこの偶像崇拝教団の維持促進を願っていると考えられる。彼は単なるアベノミクス下の経済弱者としての犠牲者であると同時に、今後、日本法で死刑にされるのは目に見えている。悲劇なのはアニオタだった青葉氏個人の一生、あるいは死者や死傷者だけではなく、京都という自文化中心主義教義を(京都市「世界自由文化都市宣言」や中世以来の中華思想として)流布する一地方が善意と信じて疑わない狂信者と共にこの偶像崇拝教を広め続けようとする、不可避のミーム力学もだろう。
 宇治市に本社があったということも、京都府全体の中で、洛中から差別されてきた田舎扱いの会社(井上章一 『京都ぎらい』で洛中生まれの梅棹忠夫から嵯峨出身の作者が門地差別されたと記述されている)が、府外からは「京都ブランド」と同一視される文化摩擦をもたらしている。要は宇治市なるものは府内では差別され、府外からはひいき(逆差別)されたりする特殊な立ち位置にあって、善意の外人アニオタなどは京アニ礼賛に日本ファンを重ねていたりもするだろう。日本人一般は京都人から中世以来、ほぼ永続的に差別を受けてきたので、宇治的立ち位置をほぼ全員がもっている。

 青葉氏は決定的な偶像破壊で信徒に動揺をもたらしたが、私みたいな非アニオタには革命の意図が理解できても、国内外に潜行した信徒は青葉氏の死刑をスケープゴートに、相も変わらず、大金を貢がれた京アニ教団と共に、異様な儀式を続けたがる。

 私は京アニもアニメも信じていない。今回の事件に限らず反知性主義と結託したサブカル教を邪悪だと感じているが、犠牲者への同情と、サブカル教の偶像崇拝性を感情論で意図的に混同させている過激派京アニ信徒は、やはり今後も数多の悲劇をもたらすであろう。