2019年7月23日

小沢党首の下で全野党は安倍氏と天下分け目の戦いをし負けたら民主主義を諦めるべき

某氏は自公連勝を、有権者に公平な報道をしないNHKなど主要マスメディアのせい、との論点に立たれている。これは私の意見としては「東京の」報道業界の平均的質の低さと、別の問題を混同していると思う。なぜ東京の、と特記するかなら、地方紙や地元のテレビみてると東京発の情報の方が俗悪なので。
 この第一の意見、「東京の報道業界」と、都外の報道業界の決定的違いは、東京のそれは記者クラブ企業連合にがんじがらめになっているのに加え、そもそも東京都知事をみたらわかるよう一般的な政治民度がとっても低いのです。ダニクル(ダニング・クルーガー)効果で都民は驕ってるが、普通にいなかのが議論の質がまだましです。一つ反証例を出すと、東京圏(東京、神奈川、千葉、埼玉とつくば圏)の外で、恐らくつくばも含めて、歴代都知事のうち石原慎太郎氏以後の面々が立候補してもほぼ確実におちるであろう。なぜかといえばそんなタレント知事みたいなのに期待するほど阿呆が多くないからです。はっきりいうが。
(このたとえには例外もあります。諸々の相関係数が、学園都市であるつくばを除く東京圏に近い道府県なら政治民度にも類似性があるため、タレント知事誕生も頻繁にありえましょう。具体的には大阪、京都、兵庫、愛知、福岡あたりです。しかし全体として、都会にタレント知事が多いのは、多数派の民度のせいです。資料:都道府県別統計とランキングで見る県民性「東京都の類似都道府県」

 で、もう一つの本質的な「問題」の方を分解して考えます。
 それは結論からいうと枝野幸男氏が第二党の党首なのが敗戦原因です。彼のカリスマは正直、とても低い。そして器も残念すぎるのだけれど、首相にふさわしいとはちょっと思われないサイズに一有権者として感じる。きちんと理由があります。
 枝野氏は、小沢一郎氏がオリーブの木構想で、野党共闘で第一の民敵であるところの安倍独裁政を成敗しましょうと持ちかけたとき、「迷惑だ」と一蹴していました。これは私としては失望の極みで、自分の実力を全くわかってないのかこの人はと呆れましたね。やっぱり結果はそうでした。
 一応書き残しますが、その際、私はツイッターで枝野氏に話をつけにいき、反省せよ、お前が第二党党首として全野党の大将になるつもりで俺についてこい、後は任せろくらいいえなくてどうするのといって説教しました。そしたら枝野氏はこれを無視、驚くべきことにやくざなとりまきに私は侮辱三昧された。
 これでもう寡頭政治めざしてるだけのくだらねー第二党だってことはばれてしまいまして、枝野氏と立憲狂信者は、ほかの少数政党を支持している「全国民」の公益を代表するつもりがてんでないのだ、と、政局的態度として示されてしまったわけです。ああこれはダメだと。それでもう立憲支持も危ういと。
 そして私としてはこんな小人が政権取ったらまた菅直人暴走政権のときと似た顛末になるのも目に見えていると立憲の応援とも距離をとって、野党の実質的なボスというべき小沢氏を全面的に支持することにした。小沢氏はさすがの貫禄で「枝野さんを信じて待て」と仰り、実際こそっと枝野氏は方針転換した。ここも私は本当に呆れた。枝野氏はあれだけ「迷惑だ」とか大威張りで、その時点で思いっきり立憲応援してた私みたいな一有権者を、手下のやくざが不可抗力で全く無意味にツイッター上で名誉毀損三昧、集団虐待しておきながら、あとでこそっと私がいった通りの方針転換するとか、これは枝野氏は非常にずるい。
 枝野氏はこういうわけで、「フルアーマー事件」(原発事故の時、「安全だ」と官房長官としてテレビ放送などで連呼しながら、現地住民が丸裸のところに自分だけ異様な完全防具でやってきたんですね)以来、人格的もしくは大局的判断で問題が色々とありすぎるのである。安倍氏はもっとだけどね、勿論。

 有権者がばかであって、テレビやネットに踊らされる雑魚で、安倍独裁の不正がはなはだしく危機的状況なのは明白なのに野党に入れない。だからメディアのせいだ、という某氏の推論のどこがミスかというと、実際には有権者はきちんとみてるのだと私は思います。なぜなら私もみまくってるので。有権者の政治の見方は、正直、冷酷なものだと思いますよ。私もですから。それはよい意味での冷厳さであり、「こんな野党党首じゃダメじゃん」っていう完全に客観的評価である。全然踊らされていない。安倍も無論どうしようもないやつだ。みんな知りまくっている。だが実際の政権運営は一応やっている。
「安倍独裁がどうしようもないのは認める。だが枝野独裁になったときのほうがはるかに恐ろしい結果がくるであろう」というのが、有権者一般の判断で、ですから棄権する。「うむ、ほかの野党党首の顔ぶれをみて、権力もたせたらよいと思える面はおらぬ。ここは待ちだ」
 普通に政局の判断として。
 そして私は特別な人物に注目していた。徳川家広氏である。ご存知、日本史の最重要人物の家系、それも宗家のご末裔であらせられる。静岡県民がどう判断するか見ていた。ご著書も購入し網羅的に読みつくしてから、歴史が変わるのかな? と思ってみていた。そしたら落ちた。有権者は非常に冷酷である。
 毎度のことだが、ツイッター世論とほぼ真逆に世間一般が動く。これはいつものパターンだからもうツイッター観察歴が長ければ長いほど重々承知と思うが敢えて書いた。なぜならツイッターってサイバーカスケードの蛸壺だから、そして一般社会の少数派が鬱憤の捌け口にしている傾向のメディアだからだ。
 今後、徳川氏が再び選挙に出られることもあると思うので(家康公はそういう人生でしたよね)、その時は枝野党首以外の政党で出馬されたい。ご著書の中身から総合判断すれば立憲から出馬もほぼ納得できたんだが、結果から見れば、主君の選択が筋としてよくなかったといわざるをえない。まさに徳の面で。

 そしてですよ、私が求めたいのは、普通に全野党の最重鎮でしかない小沢氏が野党全体を率いる党首として、党首討論とかで代表として安倍氏を打ち負かしていただきたいんですよ。小沢氏は御輿のやり方を好む。健康面の心配なら安倍氏もそうだから、寧ろ自分の実力に謙虚すぎるんですね。ダニクル効果で。
 枝野立憲に投票したいかといわれれば私はしたくない。その理由は上に書いた。安倍自民に入れる必要がないのは、今回の選挙でもそれ以前の日本人の傾向みてても明らかで、自民にわざわざ入れる意味ってなにもないでしょう。だってほうっておいても自民党が勝つんだから。つまり入れるなら野党なわけで。
 有権者が冷厳に自分の利害を計算している、というのが私の見立てで、いずれかの野党党首が首相の器として安倍氏より明らかに上なら、そして勝率がほぼ半分以上なら普通に投票にいきますよ。私も鳩山由紀夫氏が民主代表だった時は自分からいきましたからね。新聞広告とかもとてもよくできていたと思います。「いざ鎌倉」風の「さあ、政権交代だ」みたいな雰囲気を、当時の民主党はとってもよく演出できていた。そして実際にあのとき民主党の面々は、鳩山氏を御輿にしていた最大の実力(いわゆる政局練度含む公徳)をもつ小沢氏と、部下としては優秀なタイプの菅直人氏にうまく仕えていたと。

 もう少し枝野氏について分析してみましょう。
 彼がなぜ第二党党首になったか。政治に詳しい皆さんならご存知でしょうが。
 小池都知事による希望の党へ合流をめざした当時の民主党首の前原誠司氏だったが、実際には自民党の外部勢力である小池氏は、悪魔的政略で、自由派の民主党員を排除しはじめた。こうしてその自由派とみなされた旧民主党員の中には、枝野氏がいて、彼は失職の危機にあったのだが「枝野、立て」と支持者の一部がいったとかで新党を立ち上げた。それが立憲民主党。そして旧民主党の殆どが在籍していた希望の党は敗戦で空中分解し、国民民主党になった。小池氏はしてやったりである。
 ツイッター世論をみてて「旧民主の裏切り者がわかってよかった」と国民民主党を酷評してる人がいたんだけど、これは正直いって政治理解が足りていない。上述の経緯なので、旧民主党の主要勢力(の残党)が、国民民主党のほうなのである。そして立憲のほうは排除され仕方なく独立した浪士組みたいのだ。こういう事情を思えば、前原氏が政局ミスを犯し、小池氏という女狐に鼻をつままれた。そのせいで本来同じ志をともにしていた仲間が、なぜか分裂している。ならば前原氏が(国民民主)党首の座から失脚し、小池氏が邪魔することもなくなったんだからまた一緒になればいい、強いしと思うのが自然である。
 そこでさきに書いた問題が出てくる。枝野立憲党首は、なんと「(旧民主党の主要勢力と一緒になるのは)迷惑だ」発言である。なぜでしょう。答えをいうと、彼は第二党の党首の座であるのが心地よく、自分が仲間はずれにされても助けてくれなかった旧民主党の主要議員を排除した方がその座が安泰というのが本音でしょう。建前は「信用の為」というが。ここで今回の分析の焦点が出てくる。枝野氏はなぜ「野合しないのがわが党への有権者の信用だ」「これまでの失敗は志を異にする人たちと野合したせい」みたくいっているのか? 上の経緯からいったらあなたも旧民主党にいたではないか、なぜ最初から独立政党を作らなかった? となるし、矛盾甚だしい。
 たとえば世界の政党政治をみて、党首の是は党員に絶対だ、みたいな傾向をファシズムまたは独裁政(僭主政)というのである。いいかえれば党員は一定の自由度の中でまとまっているが、個々人は政治信条で微差があって当然である。ロボットじゃないんだから。この点で小泉進次郎議員から「自由のある民主党が自由民主党だ」とか講談みたいなジョークかまされるくらいで、実際には党規模なら自民党のがファシズム傾向なんだけれども。
 つまり、枝野ファシスト党といったほうが正確なのでは? となってくる。安倍ファシスト党とどっちが結束性が高いか競ってらっしゃるの? となって、実際に自民党って派閥間でプロレスやってるから、前より格闘技が弱くなったとはいえ党首選の時はそれなりに党員同士ガチンコで批判しあってるわけだ。

 で、小沢氏ってのは自民党の派閥プロレスじゃ国政の腐敗なんて全然変わらないと悟った御仁であらせられ、いわゆる先進世界の常識であるところの二大政党制、特に政権交代文化を移植しなければ日本を救えない、と最先駆してこられたスピンアウト革新起業家キャラなわけだ。だから私は応援してるのだが。いまでいえばスガ官房長官が、「もうこんなうそつきばっかの忖度会見やってられっか!」とか申され、自力で新党たちあげられたくらいのインパクトが、いわゆる自民党幹事長からの小沢氏の軌跡でしょ。私が生まれてくる前も入ってるけど。なので日本政界は遅れてて、彼は革新派なので虐められてきた。壊し屋のレッテルは政権交代で失職しかねない自民党側が彼に与えた汚名で、実際には「直し屋」、つまりは御隠居による世直し政治みたいな立場でしかない。ほかの先進国でいったら長期政権が絶対に腐敗するのは経験的に知られているのだから、堕ちた与党をそのたび倒し直すのは当然なのである。
 はじめにいったよう都内マスコミって平均値がほんと語るに落ちる民度でしょ。これはみんな知っている。集団で冤罪かけて視聴率めあてに金儲けして、自宅とりかこんで風評被害ばらまきつつ無関係の家族に自殺させ、謝りもしないとか。そんなのが東京都内の報道関係者のデフォなのでやくざよりひどい。
 なにがいいたいかというと、枝野という男は、正直いって、このイーロン・マスク級の小沢一郎というご老公にびびっているんですよね。だって枝野氏なんて上に書いたよう流れで浪士組のボスっぽくなってしまった男なだけで、もともとは菅直人政権で鳩山氏や小沢氏への冤罪排除に無言だった男だからね(現中国最高指導者になった習近平氏との会談をめぐる、平成天皇と宮内記者会を発生源とした都内マスコミによる一種の濡れ衣を濫用する、菅直人氏らの党内クーデター。鳩山氏は首相を辞任。小沢氏はその後、マスコミぐるみの東京地検による魔女裁判にかけられたが、裁判官が義憤混じりに疑獄と認め無罪だった)。これは別に枝野氏を貶めたくて書いているのではなく、有権者は党首の人柄から思想からなにから、言行録、将来の政治能力としての期待値や流れまで含めすべてを「冷酷に」評価してるのだといいたいのである。なにせ自分が払ったなけなしの税金で養う公僕なんだから当然でしょう。

 結論を書くと、「普通に立憲党首が安倍氏よりろくでもない様にしかみえないので、わざわざ応援したくない」と有権者一般は思うわけであって、安倍氏より低い評価しか与えられない党首って時点でもう、その政党は解体したほうがいいと思います。嘘抜きで。組織として終わってますよ。立憲民主党を解体したら自公の暴走はとどまることを知らなくなっていよいよ終わるというのはわかるが、枝野氏への信用度が低すぎて、党首交代なしに勝利とかありえないと思う。そんで枝野氏は党首の座にしがみつくので解体しかなくないですか? ほかに選択肢あるなら教えていただきたい。
「野党がだらしない」といっている一般人は言葉足らずなのであって、「安倍さんより信頼できる野党党首がみあたらない」(これはまあ確証バイアスですが。現実には全野党党首が安倍氏よりはましでしょうから)か、「自民党より政権運営能力が高そうな野党がみあたらない」というべきですね。そしてこの2つを総合していうと、「枝野さんは安倍さんよりましとはちょっと思えない。過去の行いとか普段の言動とかみてても、頼りない」となります。この有権者一般の判断が「馬鹿だ」といえるでしょうか? 一理あるかもしれないというぎりぎりの判断だからこそ、難しくて棄権が多いんですよ。
 たとえば小泉進次郎議員が野党第一党の党首だったら、結構普通に勝っているんじゃないですか? 小沢一郎氏が野党第一党の党首でも、私の見立てが間違ってなければ勝てるんじゃないかと思う。もしそれで負けたら、日本は政党政治ができない国民だった、となって逆に民度の限界が明快になるだけです。
「日本は北朝鮮や中国レベルなので、政党政治なんて全然できない。一党優位で独裁者が不正三昧してても崇めてるのが関の山。そんな国にそもそも政党なんているの? 天皇陛下万歳とかほざいてる愚民は奴隷として扱えば?」ってのがそのとき当然視される未来で、寧ろ小沢氏が勝負に出て証明して欲しい。

 もし小沢氏が野党第一党首として安倍独裁に敗北したら、私は本格的に多数政治を諦めて、いわゆる単独政治か少数政治のほうに将来のこの国をもっていこうと思う。それは十分できますからね、歴史的にも。たとえば主要知識人を政府に集中させたり、資本家が貴族道徳で賢人政治できればいいわけです。
 多数政治が成功しうるのは、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で説いていた通り、最多の中流が教養と良識をもっている状態に限る。いいかえれば個々人に極端な公徳の差がない集団である。格差社会だと政治知も、少数の上智と多数の下愚に分かれてしまうとすれば、少数派が政権とる必要がある。いわゆる多数決による間接選挙を通じた多数政治、というしくみを、なんらかの方法でより公徳の高い少数派が勝利するしくみにきりかえていけば、仮に多数派がどれだけ衆愚になっていても全体として国をうまく運営できる。それは人類史上も多かれ少なかれ明らかで(例えば多数政治、つまり俗にいう民主主義やってた古代ギリシアも隣国の王政マケドニアに侵略受け滅亡してしまいました)、最終審判して欲しいと思うのである。
 ちなみにAI政治に期待してる人をみたけど、倫理という過去の評価関数に依存しない判断の最適化はできないから、今後も無理ですね。意思決定自体は人が直接やるしかない。単にデータの抽出が楽になるだけで、それは公共の問題についての、思考の材料です。具体的にマイクロソフトのAI "Tay"がやらかした(差別の礼賛など)のとほぼ同じことを過去の系統学習、深層学習ではやってしまう。いわゆる「(逆説的に)歴史に学ばない」、過去と同じ判断をくりかえすわけです。全く新たな局面で過去に最適化されているのと違う判断をするのは、人間業というわけです。