鈴木雄介ブログ
2019年7月7日
哲学なるものを疑う
哲学なるものは事物を主に散文体の論理的言語で、理性的な口ぶりで勿体ぶって表したもの。そしてこの口調で捉えられるのは現象や本質のごく一部でしかない。
我々は哲学なるものを、その部分である科学知識、それらの専門言語である数学と同じく疑う必要がある。哲学を宗教化し、信仰の基にしている人は過去の全学者と同轍を踏み、現世利益を軽視して己の人生を合理化したり、逆に現世利益のみに耽って未来には全く的外れとなるなんらかの考え方に固執したりするものだからだ。
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