2019年7月5日

異端の解釈

二流の人物に見習う者は、二流以下の人物にしかなれない。二流以下の人物同士は自らの俗悪さに気づかないので、一流以上の人物を蔑んだり遠ざけたりしているものだ。孔子が「異端を攻めるはこれ害のみ」(『論語』為政第二、十六。「子曰、攻乎異端、斯害也已矣。」)といった理由は、本質的にはこの二流以下の人物を指していると私には思える。
 いうまでもなく世俗的学歴、賞歴、職業、地位、功名などの肩書きが一流の目安には全然ならない。その人物の能(ἀρετή、arete、アレテー。通例、徳と訳される或る人物の本領)が本質である。