2019年7月10日

政治家の演説に反対の声を挙げられるのは表現の自由の一部説

東京中野駅前の安倍帰れコール(2019年7月7日、JR中野駅北口駅前広場の様子)をみてると、都民の一部は、腐っても鯛という面も確かにあると思う。決して衆愚というには値しない類の人も確かに生きている証拠の映像だ。全国報道だけみてる限り日本人は僭主独裁にまるで無抵抗にみえるが、事実は自民党支持者の圧制なのだ。
 多数政治の最大の利点は、少数意見の尊重だ。
 表現の自由を報道圧力で抑止してきた安倍氏は、彼のツイッターアカウントで国民へブロックまでしている。トランプ氏は類似行動を違憲と判決されたので、安倍氏も同じな筈だ。
 国民の一部がなぜ安倍帰れと言っているのか、彼は反省しなければならない。
 安倍氏を支持していない人達が彼の演説を聴きたくない、それどころか中野界隈から相当数で帰れと述べているのは、明らかに彼の地位に反対する声だと私は思う。首相に就き続けるのにふさわしい人物ではないと指弾されているわけで、今更言うまでもなく、彼による数多の違憲立法や不正行政が原因だろう。嘗て日帝は表現自由を弾圧していた。少なくとも民衆が自ら声を出し、独裁者に追放の声を挙げられるのはそれだけでも十分な政治環境の進歩だ。演説を聞くマナーに適っていない、「先ず聞かないとおかしい」と指摘していた某学者の説にも紳士協定上一理はあるが、反対世論を堂々と表明できるのも国民の一権利と思う。