共感性が高い人は、他人が不徳だとさも自分がそうである時の如くつい不満に感じがちだが、性悪やサイコパスたちが本能的にそうしているよう、他人をより不幸にした方が自分に有利だという考えをとりいれることでこの感じ方を自己改良できる。悪徳に満ちた人々をもっと悪の道に陥れるとまではいかずとも、自滅を果てまで辿らせるまで泳がせ、単なる自己防衛のみに気をつけ世渡りすれば安全かつ愉快に俗社会を眺めていられる筈だ。
そしてこの考えによると、我々が共感性をもつに値するのはどちらかといえば性善的な人々、即ち善良な人間に対してに限られるとわかる。
我々が世を憂うのは共感性の対象を普遍化しすぎているからだ。もともと高共感の人が性善的なとき利他性が高いといえるので、この種の人々が巧みに世渡りするには業を単位ごとに分割する必要がある。例えば都会の悪徳を憂う意味はなく、彼らは悪例を示しながら自滅する為の存在なのだ。この世には善徳の地域もあれば善良な人もいるのだから。