自由市場と高税率・高福祉は両立するが、社民政治の概念では自民党の行う国家社会主義政治の様な市場干渉をより悪化させたイメージを日本人民衆に与える。これはGHQと皇室、戦後政府による赤狩りが与えた社会主義一般への負のイメージがそうさせるのだろう。社民政治を福祉政治と言いかえることで、低公徳の民衆は自らの利害に注目するので、自民政治より好感をもつかもしれない。但し労働者(会社員)一般は怠惰とみなした貧民を差別するのが自己正当化のいいわけになっているので、「福祉」にも救貧と反差別の意味をよみとり、違和を感じるかもしれない。
上のことから、日本単位の悪弊になっているのが自民党の堕落した国家社会主義政策だといってまちがいないだろう。政府による市場干渉と、低福祉を兼ねるのはなんといっても最悪の手でしかない。
裏返せば公害に繋がらない限りの自由な市場(例えば堤未果『㈱貧困大国アメリカ』などを参考にすれば、国民の命綱を確保する為の保護農業は例外だろうが)と、高累進税制を通じた最貧者の生活向上を目的とした高福祉の両立が、令和期に必要な善政である。平成時代の自民悪政を否定する必要があるのだ。この自由市場・高福祉を兼ねる立場は最も学術的にいえば社民主義になるが、上述の理由で日本人民衆にそのことは理解できない。つまり彼らに納得させるには別の言葉を使って説明するしかない。しかも自民党を不安や無知から選好しがちな衆愚は単に多数派が群れているからそうする。いいかえれば、日本国全体の公益をはかるには自民悪政がいかに彼ら衆愚に有害かを論いながら、マスコミとネット世論を唆し、同調者がほぼいない状況まで彼らを追い詰める必要があるだけで、そこに論理は必要はない。代替政党がわには自由市場・高福祉の実行という基本原理があれば十分である。
「社会主義」という言葉は多義語で、自民党が現にやってきている賃上げへの圧力とか企業国有化の様な市場干渉が意味として含まれている。羊頭狗肉で自民党は衆愚を騙しているが、要するにこの政党は詐欺を商いにしているのだ。逆に社民党は学術的次元でこの言葉を使っているので衆愚は誤解しかしない。
結局、日本人民衆は政治思想によって投票先を択んでいるのではなく、単に彼らの周囲の人々が群れるだろう対象に雲集する「孤独な群集」でしかない。群集心理で全体ファシズムに群れ、皇室や自民を支持するだけで中身は不安しかない。だからこの群れを操る方法を、公徳をもつ我々がおぼえる必要がある。
ウォーレンバフェットは1994年、ネブラスカ大学の講演で累進消費税を主張している。彼がいうにはこの方法は短期で経済に悪影響を与えるが、長い目でみれば長期で国全体の富をますという。理由はより消費する人はより多く社会を働かせる(社会銀行から出金する)のでより多く手数料を払って当然という。他の累進税制に対し、この軽減税率に加えた累進消費税はますます消費を冷やす様に見えるが、実際には庶民に対する減税措置と同等の効果をもっている。税の調整(再配分)で得た富を庶民ほど生活必需品の消費に回す鼓舞になるからだ。又トリクルダウンが不能な訳も、バフェットは説明済みということだ。
しかし日本人民衆、特に労働者全般にこの様な理論が理解できるだろうか。並みいる経済学者に理解されていないのだが。よい政策を実行するには、新首相がかなり強い権限を独占する必要がある。上述全ての福祉政治も同じである。そこで合意をとろうとするかぎり、再び衆愚政や寡頭政に逆戻りしてしまう。
目下、枝野幸男氏と安倍晋三氏が首相争いをしている状況にせよ、この両者のいずれも聡明さにまさっているとはいいがたい。この場合、期待できるのはなんらかの誤解された政策だけである。我々は明らかに賢慮の高い人物が選出されるまで、絶えず主要政党の党首交代を要求し続けるべきだろう。