縄文時代以前は、現時点の考古学によると、砂原遺跡から12万年、特定の身分差もなく世襲されない共和政をとっていたといえる。天皇は2800年前の弥生時代頃に中国等の外国から侵入したと称し、1400年前の大化の改新から数えても、全日本史において極めて歴史が浅い中華皇帝の模擬に過ぎない。
1.日本に太古(約12万年前)から存在したのは身分差のない共和政
2.外国から入ってきたのは皇室の先祖であり天皇制(中華皇帝を模した教祖兼暴力団長の世襲。天皇とは中国の神話上の君主、三皇の一人の名乗り)
3.外国由来か日本由来かの度合いは、大切さといずれも比例しない
元ツイートは「主権在民」を根拠として生まれ・血統・身分差別及び政教一致の皇室を民間宗教法人化すべしと述べているのであり、そもそも鎌倉時代以後は断続的参政(南北朝期など)を挟みつつも、かなり長期に渡って皇室は実権を持たず、それに近い単なる宗教家の立場だったし、外国由来と関係がない。
全日本史を約12万年とすると、天皇の先祖にあたる特定の弥生人が中国等から渡来してきた称・約2600年前以後、大化の改新で中国の律令制をまねた皇帝制の実在が確認できてから約1400年間ほどをとっても、各地で天皇が必要なかったのは明らかでは? 特に150年前まで共和政のアイヌや、王国としての琉球は別の体制下で存続していた。具体的にいうと、古墳時代以前に卑弥呼の邪馬台国や、倭奴国があったり、各地に明らかに大和王朝と無関係な大豪族の国々が確認できますし、平安時代~明治時代まで先住日本人(縄文人(蝦夷)、アイヌ)は渡来人らの大和王朝と無関係に暮らしていましたよね。戦国時代を通じて各大名も独立していた。徳川家(特に水戸の徳川家)と、毛利家は皇族(有栖川宮等)と親戚関係で、幕末に共通の主家として天皇家を仰ぎ新体制を実現したに過ぎず、厳密にいえば鎌倉時代以後、特に室町時代には足利将軍家が反天皇体制(北朝)を布いていましたよね? つまり統治上、必要なかったので寧ろ内乱の原因でしたね。
天皇が日本に渡来してくる以前、約12万年の日本では、各地に大規模な古墳も見られた上に、土偶や土器、勾玉みたいな装飾品から、大きな都市遺構を含む遺跡もたくさん出土していますし、邪馬台国や倭奴国など、大和(奈良)以外の国々が実在したのは魏から送られた金印の存在でも分かっていますよね。日本の誕生という虚構は、奈良時代に『古事記』『日本書紀』という2つの宗教書兼歴史書で神話として捏造されたものだ、というのが現時点の考古学に照らして分かることです。実際、その時期にあたる約1300年前(712~720年)以前の遥か長い期間(砂原遺跡から約12万年)日本人は暮らしていたからです。
上述の将軍や武士らは、天皇が受領を通じた国司(地域統治権)の売買など腐敗政治を行っていると判断し、天皇の権力を制限した人達も混じっている。飛鳥期以後の日本史は、関西地方や東京を牛耳る天皇権力と、各地の日本人主権の間の争いだったといってよく、殆どの期間、天皇は宗教家に過ぎなかった。
或る程度大まかに分類すると、天皇自身が権力(法の制定を含む暴力)によって統治行為をしていたのは、飛鳥時代から平安時代の初期(平将門の乱、或いは藤原政治)までの約300年間ほど、明治時代から昭和中頃までの約100年ほどで、この1400年中の1000年ほどは武家統治といえるのではないですか? 縄文時代以前の約12万年を勘定に入れると、12万年中のほぼ11万年8600年ほどのほぼ全期間は、先住日本人の民衆による共和政治(民主主義)であり、このことは150年前まで同体制を続けていたアイヌの存在が証明しています。まとめると、
共和政(民主主義)11万8600年>武家統治1000年>天皇統治400年