2019年5月23日

学を悪用する俗物

学問が自然や世界、神の創造を分析し後自然学として倫理を構想する哲学から始まったとしても、それが就職手形だか他人を見下す肩書きだけの為に歪められ、学位をもつ俗物を量産している今日、いかにマイケルスペンスが全人類に公害をもたらしたか計り知れない。裏返せばその種の下賎の徒にまで学問が通俗化して普及したともいえるが、なにしろこの種の乱用は知識そのものを差別の手段にする一方で、誰も幸福にしない。
 儒学は人々に公徳で指導的役割を果たす目的のものだったが、これを浅学の平成・令和日本人全般は中国思想といい軽侮しながら、自然科学や工学を拝金目的で私用しようとする一方で、倫理の一切を貶めて恥じていない。つまり現代日本人は学問を悪用する目的しかないのだ。就職手形や肩書きとして他人を差別し、不幸にする目的で学位なり入学歴を得た人々には実際、学と呼ばれる何も与えない方がましだったのだ。