この間、日本国内で知性の二極化が起きるのを危惧してるといってる人がいたけど、これは既に起きているので危惧とかじゃなくて現に体験しまくってるともう後戻りできないと知っているだけの話である。
いわゆるゆとり教育の失敗、これはその世代の一部と標本抽出みたいにかなりのサンプル数と「できるだけ反証的に」接した限り、本当の話だった。まず本を全然読まなくなっていてネットでも長文読まない上に、幼稚園児レベルのアニメを本気で見ている人達が多い。国語そのものが読めてない人もよくいる。なぜ若い世代で安倍政権の支持率が高いか。就職率が「団塊世代の引退で」「民主党政権の頃から徐々に」改善しているからという理屈をつけている人もいるが、実際には彼らの知性が安倍晋三氏と同程度だからだという方が信憑性が高いです。私はゆとり世代と頻繁にというか毎日接したのでよくわかった。
皆さんはご存知ないと思いますが、ゆとり世代のかなりの数の人達は、うそ抜きで憲法を知らないのです。小学生級の知識の欠落がかなり広範にわたってある人が相当多い。それどころか本を読まない影響で、基本的思考が疎漏で「首相は立法府の長だ」とか聞いても「何がおかしい?」というのが多い筈です。
で、世代でいうと全共闘世代というのがいましたね。彼らは頑張って知性派ぶるのが格好いいと思っていた。その人達の真逆の類型がゆとり世代といって先ず間違いないです。馬鹿ぶるのを更に超えて「素で馬鹿」でないと集団圧力で虐められるみたいな雰囲気の世代なのである。
ミセスグリーンアップルというバンドの『WanteD! WanteD!』という曲の歌詞に「あの子は馬鹿で、すらすら生きれている」とかいうのが出てくる。これがゆとり世代的な価値観をとてもよくあらわせてます。馬鹿がうらやましい。なぜなら同調圧力をかけて排除やら阻害されないという話なのです。
私は今でも毎日とっても驚いている。どういうことかというと、僕は詰め込み教育の最後の頃の世代(1984生)なのだが、ゆとり教育を受けたとされる少ししたの世代32才(1987年生)~23才(1996年生)位の人らと会話すると、会話に崖があるのがわかるのです。崖の上下位の感じで超えられない。
「知性の二極化が起き、高知性側が低知性側を統治すると、安定した民主主義が破壊される恐れがある」という危惧の仕方を、私より上の世代の方がいっていた。これは勘違いです。事実はもっと恐ろしい。低知性側の方が数が多いので衆愚政治になるんです。それが民主主義のしくみですので。民主主義とはデモスのクラティアで民衆政治、アリストテレスによると堕落した多数政治のことですよね。まさにそれになりますね。もう確定的だといっていいでしょう。現時点で安倍独裁政権が悪政三昧している。しかし未来はもっと酷いです。なぜならゆとり世代がまだおもな世代になってないからです。
確かに経済面では、極端な二極化が起きるでしょう。知性が高いほど搾取する能力が高くなる傾向は、一応ですがありますからね。私は10代で賎貨道徳を新渡戸『武士道』あたりから学んでたので、教養階級と商人階級の分離という知恵を受け継ごうとしていました。しかしそれは少数派にとどまりますね。
ゆとり世代の現実(馬鹿の方が物凄く威張っている同調圧力みたいな感じ)を全く知らない私より上の世代の方で、官僚制みたいな姿を予想してる人は、未来を見誤っていると思います。衆愚政治の極端な形が、近い将来の日本です。財政ならギリシア、右傾化ならネオナチを随分悪化させた様な感じでしょう。皆さんがゆとり世代感覚を疑似体験するならヒカキンの動画、または『けものフレンズ』をみるといいですね。え、小学校低学年~幼稚園児向けなのかなというのを大人がみているのですね。本気でみている。それは冗談とかではなく、知性の質自体が全然違う世代、もしくはかなり大規模な国内集団がいる。例えばです。日本語圏ツイッター上には、まあ知性でいうと並から中の下くらいのネット芸人みたいなのがわんさか自己顕示してますよね。彼らはゆとり世代からはどうみえているかというと「意識高い系」にみえている。それは知者きどり位の揶揄が込められている蔑視語で、感覚が馬鹿中心主義なんですよ。
私ははたちくらいの頃、神の様な全知に到達する目標を立てて、毎日猛勉強してきました。私はその意味で詰め込み教育的な価値観を体現した最後の代表者の一人といっていいと思います。ほぼ完璧に禁欲的で勉強が趣味ですので。そして私からみるとネット芸人らは「なんでこんな馬鹿なの」とみえていると。
知性に対する取り扱いが全く正反対の世代が、超えられない崖を挟んで二手に分かれてるみたいな状態が、詰め込みとゆとりの間にある事情です。大体、今の30代半ばと20代の間にある意識の差。他の世代にとってどうでもいいと思いますが、私はこれで毎日果てしない摩擦を体験してるので参考に書きました。
思い出したのでつけくわえると、眞子さんと小室圭さん。彼らは上の世代からみると「なんでこんな馬鹿みたいなことするの? 本気?」ってみえている。しかしそれは本気です。ゆとり世代の恐ろしさはあれで最上の知性の部類だといっていいと私は確信できます。一番ましな人達です。嘘ぬきで。
そういえば「反知性主義」という便利な言葉もありましたね。ゆとり世代語といってもいい「意識高い系」とは(なぜなら私の世代では存在しなかった)、知性主義者を差別する為の言葉ですね。マイルドヤンキーとかオタクという言葉もありますが、都鄙差別を含むので、反知性主義が最も便利ですね。
ついでに言うと、知性主義的なものの中でも、例えば浅田彰『逃走論』みたいに偽知性みたいなのもありますよね。この本はスキゾ・パラノの枠組みをドゥルーズとガタリから剽窃し、フランス哲学に詳しい俺凄い? といいたいだけで衒学以外なにものでもない。だからファッション知識人ごっこだった。
真の知性とはなんでしょう。それは真理を悟っていることですね。彼らが真理を説けば結果、迷信が晴れたり人類に道を照らし出すことになる。ですが偽の知性主義は衒学なり学歴主義なりで尊敬されたいという俗物根性の虚飾にすぎない。ですから知性主義の中では知恵者が哲学者に擬態しています。