ある自死を望むといっていた人がサイコパスで、何度も慈悲深く接する自分を裏切って悪業三昧している場合、この人に同情の余地があるだろうか。自分はこの人に世話したり身近に接した結果、この世には本物の極悪人というのがいて、その様な人間が死を望むのは業なのだとわかってしまった。世人は死の願望がある人に同情するかもしれない。がその人自身が悪業三昧している場合を想定していないのではないか。
また私は別の人が自殺願望をもっていたので、救済しようとした。こちらは同情の余地があったし、報いもあった。
業として救われるべき人とそうでない人がいるのではないか。
単に自死した人というだけで世間は彼らに同情しがちである。現実にその様な状態に至るまでの経緯を詳しく追っていくと、確かに悲劇でしかない場合と、完全に自業自得でしかない場合、その中間の場合がある。人を助ける際にも、相手の業を詳しく見ていく必要がある。逆に救うべきでない場合さえあるのではないか。