2019年4月30日

思考停止や忙殺を無能な人々は自ら好む

無能な人は暇を奪われた方が良い。なぜならそれは有能な人の命令に従って、少なくとも無能ながらも何か社会に有益な仕事をさせられることを意味するからだ。
 ギリシア自由市民が奴隷制を必要としていたのは根本的に有能な人々が自己正当化していたからだ。また資本主義で労働者が実質的に奴隷化されている(又は自ら奴隷志願している)のと同じ意味で、無能な人々は自由や暇を蔑視している傾向にもある。教育がこれらの原因でないのは普通教育の機会均等以後は明らかにも関わらず、自ら考えることを嫌う人々がいる。彼らは世俗的価値と見なした他人志向によって、他の労働者に群れる自己奴隷化を進んで選択していく。つまり無能さの究極形態は、思考放棄、思考停止だといえるだろう。