マネとカバネルのサロンにおける関係、『水浴(草上の昼食)』が風俗画であって『ヴィーナスの誕生』が神話画であるという、裸体画の伝統解釈に前衛と後衛の差があったこと、しかも今日の目からマネはサロンの規則を破った点で広く知られているがカバネルは当時成功した画家であったとみなされて多くの弟子を抱えていたのに他の作品も含め殆ど知られていないこと、これは過去のみならず現在でもとにかく常態的な対照性だ。恐らく未来でもそうだろう。我々は『オランピア』が娼婦の官能性を世俗的に描き出したもの故に当時も非難の嵐に巻き込まれたという前提なしに、教科書等でも美術史的に常態的にこれを学ぶが、上述のカバネル作品は神話画の模倣として官能性を利用しているという意味で習う。つまり当時のパリの市民階級がどの様に彼らの表現を見ていたかさえ知る結果になる。裸体画の伝統的規則であった神話という建前を破った事件性、いいかえれば画題のコンセプトからの世俗化が、マネのもっていた同時代的成功から彼を遠ざけた前衛性だったのだが、我々はこれ自体を文脈化された美術史としてパリにいた前印象派の近代画家の一部として習う。
未来の画家が私のこの記述を読むこともあるだろう(例えばリヒターもノートで保守的サロン画家と前衛画家の違い、加えて現世的成功と死後の名声の対照性を指摘している)から、参考となるだろう意見を書いておく。
この種の構図は時代の変化を捉えて時系列的に流行を記述する美術史の書き方に由来すると同時に、同時代人らの殆どの批評眼は真新しい表現には適合しない保守的な慣行に倣うことを示している。実際、私と同国の同時代人、しかも同年齢でも恐らく後世が調べれば分かるかもしれないが日本のサロン作家の典型というべき写実画の日展作家がいるが、彼の商業的成功は高級車に乗り回すといった類のものである。しかも日本の保守的鑑賞者らの基本通念は、洋画(狭義で油絵)とは明治時代に西洋から輸入された写実絵画、または印象派と考えられていて、その中でも写実絵画が主で印象派は亜流とされ日展(官展を色々な経緯でこう呼んでいるが、いわゆる日本政府の開く公募展といっていい)の中でこれ以外の作風は排除される。なぜそうなのかといえば、この日展で互いに権威を与え合っている一定の集団は、もともと大学等の美術教育を受けておらず、どちらかといえば近代以後の理論をもっていない。いってみればアカデミズムの王道を外れた人々が、自らの市場価値を賞の権威で捏造する為に、素人にも分かり易い表現方法を追求した結果、写実表現に辿り着いたといえる。その上、モダニズムの影響を受け前衛表現によって美術史に残るといった方向性にもなく、現世的商業に最適化している。つまり前衛主義とはミームの評価を未来に先延ばしする戦略であり、美術史の知識を応用して意識的・無意識的に伝統規則を破った上で、論理的必然性を伴って新規表現をおこなう傾向である。一方、後衛主義は同時代の理解者を最大化しつつ伝統的な模倣表現を繰り返し、合格者の少ない美術・芸術大学や、公募展等での競争優位を誇示して権威づけを行い、一般大衆がその作品を購買する為の参考情報をよりどころとして金儲けする方法である。両者の中間をとる中衛主義といった傾向もあるが、巨視的には現世で死の直前発見されるまで全く自作を公開せず新規表現をしていたヘンリー・ダーガーの様な例や、そもそも商売以外でなく絵を描く週刊誌の漫画家の様な例があるのを除けば、大抵の作家は前衛・後衛の濃度があるに過ぎない。各作品で両者を使い分けている場合もある。しかし究極のところ、前衛主義以外の絵画は歴史化される理由がない。なぜなら最初のペンギンを捉えて記述する以外では、過去の模倣を繰り返す画家らを記述している限り、余りに数が膨大になって美術史自体が不可能になってしまうからだ。この意味で前衛性を評価する観点をもちだしたグリーンバーグは近代以前の美術史も覆った論点を出していたのであり、未来においても同じ法則が適用できる筈だ。