2019年4月25日

仏教の大乗化は往々にしてガウタマの教義の改悪でしかない

大乗仏教は明らかに劣った教義であり、真理を歪めて解釈したものでしかない。ガウタマが『ダンマパダ』でいっていた通り、そもそも俗人が解脱しようがない為に悟った人と違うのだから。
 一般大衆が救われ得ると述べる以後の偽仏教は、中道をも世俗化している。この点でスマナサーラも同じだ。元々ガウタマは同本で「法による商人として暮らすな」と教えを説くことによる収益を否定していたのであり、いいかえれば乞食(今日でいう生活保護や社会扶助)での消極的餓死の方が商業活動より正しい中道と見なされていた。後世の仏教教義は世俗的職業を容認しているが、ガウタマの段階でのそれは輪廻に与するものでしかなく、否定されていた。中道は苦楽のいずれにもよらない行を意味する概念なので、近代の言い方にすれば功利主義を否定している。
 スマナサーラは日本人へ世俗的職業の中で中道を追求するよう説いているが、これは法然の易行や、親鸞の悪人正機説、創価学会流の日蓮宗と似た過去の日本仏教的な大乗化でしかない。ガウタマ自身の立場に基づけば、世俗的職業を離れ生活保護を受けるか、さもなくば放浪し餓死するのがよいとなる。実際日本人の苦しみの大部分は天皇による搾取の体系である世俗的職業の義務から来ているので、その内部で中道を追い求めても苦行や輪廻から逃れ出られる筈もない。
 ガウタマの根本的な教義は世俗的職業の否定にあった。それどころか現世での経済的成功や、物質的快楽追求をも否定していたのだから、米英的な功利主義、資本主義の社会秩序を最初から拒んでいる。神道教祖の天皇は日本政府に寄宿し、米英的な金儲け社会の搾取の頂点の地位を、自ら諸々の手練手管で維持しようとしているが、この意味で単なる国家政府と癒着した財閥に過ぎない神道の一切が神聖政治ではありえないのだ。