日本仏教自体が偶像崇拝という初期仏教にない異端なのだから、開祖ガウタマ・シッダールタ(仏陀)の無我の思想からみたら仏像を崇めたりありがたがるのは蛮行となる。神仏習合の否定、神道と仏教の分離という明治政府の国家神道的な目的とは異なる点で、仏像破壊運動は仏教の本質に照らせば正しいよ。
思うに、仏像が仏教寺院の持ち物である、という意味で、明治政府天皇権力が個人・宗教法人の持ち物を破壊したのが、今日の目からみて私有財産を否定しているという意味で権利上の問題になるのであって、仏教本来の哲理からすると仏像を捨てるなり壊して偶像崇拝を否定するのは原理主義的に正しい。また明治憲法時点で天皇が全権をもっていて、臣民(当時の国民)はその権力が許す範囲内でしか私有財産を認められていなかったとすると、戦後の日本国憲法が国民主権なので当時の政府の廃仏毀釈運動を否定できるにすぎず、遡及処罰の禁止という意味で、法的には当時の仏像破壊を全否定し難いな。その上、日本仏教が他国で派生した一部の部派仏教の末裔同様、偶像崇拝という異端・邪教的要素を持っているという意味で、無我の本質に背く仏像礼拝を行っているのだから、偶然とはいえ倫理的に仏像破壊が間違っているとは言い難い。結局、岡倉天心が述べる様な美術的観点だけが仏像を擁護できる点だ。
この記事(現代ビジネス「天皇も「一生の心残り」と悔やんだ、明治政府のある蛮行の記録」2017/11/5、ページ1、2、3。次の該当部分はページ3)の真鍋厚氏は「多神教的な日本の風土」というけど、文化風土は様々な思想の混成で常に変化してきたのであり、天皇渡来以前の日本は12万年間ほど自然崇拝だったろう。つまり日本の多神教はもともと中国・朝鮮から飛鳥時代頃に輸入され、天皇によって国民の一部におしつけられたものである。それどころか土着の自然崇拝を否定し、あるいは多神教の物語で部分的にとりこむ新興宗教である神道が天皇によって作られたのは、仏教を中国から輸入した奈良時代のことに過ぎず、もともと仏陀を便宜的な教祖とする仏教の国家支配を恐れた天皇が自身の権威を確立する目的で創始したのである。今日、一神教的な風土だったとされているイスラム教圏も中世以前には別の思想や宗教が支配していた。西洋圏もキリスト教登場以前から今に至るまでヘレニズム(ギリシア思想)やケルトや北欧など民族神話を含む多神教が続いている場合もある。いいかえれば日本の信仰風土も常に変化し得るのである。