2019年3月9日

歴史学を実証科学として行えない者は一生涯、妄想に住み真実を知らず死ぬ

小説史観を公然と流布しそれを疑いもしない人は、もともと歴史学自体に興味がないのだろうと思う。彼らは過去を自分に都合がよく想像内で捏造できれば満足しているので、人類が現実にどう生きていたかに学ぶつもりはないのだろう。想像界の我田引水は、温故知新の逆だ。
 歴史学が単なる実証科学で、何らかの主観的な物語作りではなく、価値判断ですらないという客観的な視点が、いま日本社会的に影響力を持っている知識人・文化人の人達に殆どない。徳川光圀の考えから遥かに退化している。薩長史観や会津史観をNHKが大河ドラマにして大衆扇動しているせいかもしれない。歴史修正主義は正反両面(改正と改竄)で使われている言葉の様だが、自文化中心主義的な歴史観で反証的な他者を貶める、という最も幼稚な態度を、自民党安倍政権共々、平成時代のテレビ・ツイッター文化人や論壇の人達は示していた。日本語ウィキペディアも同じだから日本人全般の歴史観が幼稚なのだ。
 天皇が記紀を官僚に書かせた時点から既に歴史改竄が始まっているのだから、皇室や日本政府の持っている歴史観は最初から嘘で埋められている。古墳時代以前の日本史は11万年もある筈が、天皇が中国から侵略開始し先住日本人を奴隷化し始めた弥生時代で歴史が開始されているのだから。日本の右翼が無意識の規範にしている類の皇国史観は、記紀の始まりから虚偽と、天皇家に都合がよく天皇家以外の他者に不都合な過去の改竄記録なのだから、歴史学と呼べる代物ではない。皇室を政府から永久追放し憲法で政治関与を禁じない限り、文科省指定の歴史教科書で嘘が注入されることは間違いない。