私は特に1円も日本人達全般にもらっていないし(親とたった1人の支援者を除けば)、いわば全仕事を無視され生殺しにされているのだから、日本国民だとか日本国というのが、私を餓死させようとしている人々なのは現実に間違いないことだ。それが日本の私への悪意でなければなんだというのだろう? これが真実だと思い込んでいるわけではないのだが、日本国は、私にとって天敵の様なものではないか? 私を生殺しにしようとするのだから。
なぜ日本人全般は、少なくとも江戸時代から続く家系図をもち、純日本人と呼べる様な私に敵意というか悪意を持ち、全く支援せず無視し餓死させたがるのか? 日本国に純粋芸術の伝統がなく、前衛的傾向の画家は餓死に追い詰められる、ということについて、もっと周知すべきだと思う。それが私なので。ゴッホに涙などしている場合ではない。現実に、日本に、全くそれより追い詰められている一個人がいる。私です。私は幸運にも、私が直面したあまたの困難により精神が鍛えられ、ゴッホと違って完全に発狂まではしなかったし、逆に自力で立ち上がり、猛烈に学問や世間知を身に着けながら、人類の悪意を打ち負かそうとしているのである。
しばらく前、私はある無政府主義者の京都に住んでいる神奈川出身の女を見かけた。その女は反日統一共同戦線(東アジア反日武装戦線の後継か)とかなんとかいって、反政府活動だのを本気でしている風だった。そして自閉症スペクトラムだかなんだかをもっているらしかった。その女の思想は、無政府主義を知る機会になったという意味で興味深かったので、しばらく意見を聞いていたのだが、やがてその女が同時に経済思想の面では自由至上主義者(リバタリアン)であるのを発見し、失望した。その女は人類の権力からの解放を大義名分にしているが、本当は利己的なだけだった。
なぜその女のことを持ち出したかというと、この無政府主義という考えには、人類史の中である重要な洞察が一部含まれているかもしれない、と感じるからだ。もっというと、もともとその女が敵視する天皇だとか、日本政府だとかは作り物で、人類は国になど属していなかったのである。日本人はこの島で最低でも砂原遺跡の11万年前ころから、海山川へ行って動植物をとったり、田畑で作物を育ててくらしていた。天皇が大陸からきて日本人を奴隷にしたてあげるまでは。
日本人達は天皇に洗脳され、税金を彼に貢ぐ為の奴隷となり、その役割を疑いもしない。ちょうど労働アリの様に。円という法定通貨は天皇の権力を補完する為の道具で、この円による市場の胴元は天皇家の仕切る日本政府の銀行である。私が働けば税をとられ、天皇の権力を裏づけてしまう。
勿論、仮に天皇が排除され、国民自身の統治による共和政が名実共に完成しても、今度は資本家と呼ばれる金持ちが同じ権力を独占しだす。フランスやアメリカという王族を排除し共和政を実現した国々で、この影の独裁は今日明らかであると、『21世紀の資本』でトマ・ピケティが示した。
私は与沢翼氏の動画の中で、彼が「賃金を上げろと労働者が言っているのは意味がない」等と述べているのを聴いた。与沢氏は租税回避目的にドバイへ移住した典型的リバタリアンといえるだろうが、彼の意見では正しくは資本家の側に回るしかないという。つまり天皇同様、奴隷を利用してしまえという訳だ。私はこの与沢氏の意見が資本主義のもたらす新たな封建制度、貧富の格差を乱用した主従秩序に対し順応的で無批判な態度だと感じた。自分さえよければいいと考え、奴隷状態の一般人から搾取し続けても、単に不公平で他者の幸福度を下げるのみならず当人の幸福度も頭打ちになるのは既に知られたことだ。
人類の脳が幸福をどう感じるかから逆算すると、我々はある程度の収入を得てからはますます貪欲に耽るより、他者への奉仕、特に利他行動に努力する方がしあわせだと感じるよう進化してきている。アリストテレスは「中庸」という概念でこの利他性にも、最善の幸福度には一定の制限がある(どんなによいことでもやりすぎるとかえってよくない)と考えていた。アダム・グラント『GIVE & TAKE』によると、近年の科学的研究中で過度の自己犠牲にならぬ程度に、つまり無理せず奉仕活動をすると幸福度が上がると知られている。
つまり、こういうことだ。我々は自分の欲深さに応じた金儲けをしたがる。元々金銭で得られる価値に少欲な人は、はじめから商売にあまり興味をもたない。私もその一員だった。そして金持ちの中でも特に傲慢な人達は、建前の大義名分を色々述べながら政治権力を独占したがる。その末路が天皇である。一方で天皇の様な大資本家に洗脳された人々は、労働によって税なり給料以上の収益なりといった上前を、政府や会社の上役に納めるのを最高の仕事と思い込む。現実には金持ちの一部が皇族縁戚の座を占めたり、贅沢三昧で浪費したり、挙句の果てには使い道をなくし結局、慈善活動にしか金の行き場がない。この資本主義経済と象徴天皇制度の中で、一般日本人は奴隷化を義務と信じきるため相互監視している。彼らは疑いを差し挟む者をなんとか脳内から排除するため、左翼とラベルを貼り、自身の置かれた奴隷という立場の悲惨さから眼を背け、現実逃避し、決して反省しない。反省しないので進歩も改善もない。
私がなぜこの奴隷と天皇と呼ばれる大金持ちのお遊戯会的なごっこ社会に全然親しめないかというと、おそらく、私が彼ら全体ほど愚かではないからだと思う。私の目には、彼らは幼稚で、非人間的に見え、何の為にそんな馬鹿げた儀式を長々しているか、殆ど全く分からないほどなのだ。私には信じられない奴隷生活を、自信満々で続けている日本人達と、その奴隷をこき使って恥も感じていないらしい天皇という精神病質的な男は、いずれにしても私とは全然違う人達で、少しも同じ生物だとは思えない。他人を助けるなら分かるが、無理に税を取り立て、原価以上を搾取するため利用するとは?
こういうわけで、私はこの天皇奴隷国家には全然親しめず、どちらかといえば軽蔑感しか感じられなかった。尊敬すべき点もあるのかもしれないが、商人全般は資本主義奴隷となり、天皇は人種差別で暴力団をしきり贅沢三昧、経済弱者を餓死させ恥も罪悪感もないといった厚かましさにはほとほと呆れている。私は自分が下らない贅沢をするより、少しでも恵まれない他人を助けたいと思うだろうし、現にそうしてきた。だから私の持ち前は殆どない。親に金をやるといわれても断ることもある。私はその少ない持分から最大限の奉仕をする方が立派なことだと感じられるし、現にそうだろうと思う。
イエスも私と同意見だった。
「金持ちが救われるよりラクダが針の穴を通るほうが易しい」
世界中の富を私が独占できると悪の大魔王からそそのかされても、むしろ私は一文無しでも善く生きる方を択ぶ。ドラゴンクエストの竜王の持ちかけではないが。安倍内閣下で財務大臣と副総理を兼ね、皇族の縁戚になっている麻生太郎氏がやっていることは、天皇という極悪人と共に国民を奴隷化することではないのか。そんな役割で金を握るならゼロからやり直すがいい。