2019年2月27日

大衆迎合マキャベリズムが茂木健一郎氏はじめ明治美化論者に見られる悪の根源

前から気になってた茂木健一郎氏が北海道をもちあげることや、坂本龍馬をもちあげることの違和感の正体がわかった。茂木氏は政治的マキャベリズムを正当化する傾向にあることの様だ。つまり彼は弱肉強食を判官びいきより優先する傾向がどうもある。弱い者虐めを多数派側に立って、間接的にやり易い。坂本龍馬は薩長間にイギリス製の武器を横流ししたことで、西軍から慶喜への冤罪をかばった東北の近代軍制を十分もっていなかった奥羽越列同盟側を薩長軍が侵略する遠因になった。天皇に禅譲した慶喜側の幕府軍(江戸の旗本や徳川領地の武士達。既に徳川斉昭の改革や慶応改革等でフランス式軍制で近代化済み)は、慶喜が宗家を継いだ尊皇主義の水戸徳川家出身であったことに加え、諸外国による傀儡戦争を危惧して西軍との全面戦争を彼が避けたので自らの江戸城を無血開城し、天皇に譲った。
 ところが茂木氏は佐賀県の母をもつことや、司馬遼太郎らに捏造された薩長史観を鵜呑みにしていて、「坂本龍馬が後押しした薩長軍のテロで近代化していない幕府軍を侵略し破った」という嘘の歴史観を信じきっている。これは第一次長州征伐が近代化された幕軍勝利で終わっていることからも反証される。
 実際の歴史上で事実として起きたことは、攘夷不可を認識し開国に舵を切りつつ諸侯会議による国会を構想していた慶喜の将軍職返上と天皇への江戸城の禅譲で、テロ集団としての薩長軍が暴走の矛先をなくし、十分な近代化軍備をもっていない東北・新潟へ単なる弱者虐殺の為に侵略した、ということだ。茂木氏はこの様な歴史の真実に目をつぶり、薩長軍がマキャベリズムに基づいて徳川慶喜に朝敵という冤罪をかけ東国侵略の口実にしたことをなかったことにしようとしている。歴史改悪主義者、小説史観、薩長史観の持ち主なのである。そして薩長軍のテロを褒め東日本を犠牲にしながら恥じる気配がない。
 次に北海道についてだが、これもブランド総研による毎年マスコミが「最下位の茨城を差別する目的で」喧伝する擬似統計的な特定会員調査で、北海道は魅力度が最高とされているわけだから、魅力が主観である限り既に勝ち誇っている地域を更に褒める意味は全く道徳的にはないということになる。北海道の汚点を敢えて世間に問い、偏った物の見方を修正する、というのが知識人のやるべきことだというならその通りだ。逆に、ブランド総研会員や東京都のマスコミから不当に汚名を着せられている茨城の魅力を最大限、世間に喧伝していくというのも同じ意味で尊い仕事だ。
 で、茂木氏が坂本龍馬と北海道をもちあげる、ということの中に私が長い間感じてきた違和感の正体というのは、「強弱を善悪より優先する」というマキャベリズムの野蛮さなのだ。それは一言でいえば大衆迎合による多数派の悪業を後押しする、といった形で現れている悪意なのである。これは茂木健一郎氏個人の大衆迎合マキャベリズム的な2つの事例が、自分の中に強烈な違和感と共にある種の義憤を呼び覚ましていることから悟った話だが、実際には佐賀県の関係者だけではなく、旧薩長土肥をはじめとした西軍文化圏に肩入れしている全ての人も多かれ少なかれ同じではないかと思う。
 薩長は確かに極めて卑劣な冤罪や侵略蛮行をした。戊辰戦争を引き起こしたことやそれ以前の内乱を誘導した数多のテロにもあてはまるが、高知の板垣退助や鹿児島の西郷隆盛が征韓論を唱えて以後、北海道・沖縄や李氏朝鮮へ行った侵略と蛮行にも同じことが言える。それだけでなくこの西軍の野蛮な考えは薩摩海軍と長州陸軍が日露戦争以後、満州事変を経て中国大陸へ拡大政策をとっていった時期の薩長藩閥の途轍もない暴力にも、当然あてはまる。今なおその禍は続いていて、長州閥を気取る安倍晋三首相や副総理の麻生太郎氏が鹿児島出身の大久保利通の子孫なのだ。
 茂木健一郎氏は佐賀県の母をもつから、薩長土肥のうち肥前国の肩を自然にもって、薩長軍が「善悪より強弱を」優先して、凄まじい悪事を暴力で正当化してきたことについてほぼ全く無反省なのである。それだから死の商人である坂本龍馬を美化して恥じず、北海道の魅力が最高といっているのに更に褒める。西日本の一定の部分の文化圏の人々、特に薩長土肥と呼ばれた鹿児島・山口・高知・佐賀の人達をはじめとして彼らの侵略罪を正当化している西日本各地の人、明治維新が単なるテロであったこと、冤罪を将軍にかけることで植民地化すれすれの危険をもたらした最後の内乱だったことを、全く反省していない。逆におもに西日本各地で西軍の肩をもっている、明治美化論者達は、「勝てば官軍負ければ賊命惜しむな国の為」という薩長軍を皮肉った詠み人知らずの江戸町人の狂歌を、自分達の正当性を勘違いしたままだ。西日本は暴力さえ振るえばどんな悪事も正当化できる、という野蛮な考えを本気で信じているのだ。茂木氏はたまたま埼玉や東京で生まれ育ったろうけど、たまたま佐賀県に母方のルーツがあるから、その種のマキャベリズムを知らずしらず身につけ、喧伝する。しかも作家として大衆向け書物を書いたりテレビキャスターをしていたから大衆迎合的言説を辞さない。それで大衆迎合マキャベリズムが完成する。
 自分がいわく言いがたい違和感と共に深い義憤を感じるのは、その茂木氏の言説中にある、卑劣な大衆迎合マキャベリズムの正当化なのだ。そしてその傾向は茂木氏だけでなく、現実には安倍晋三氏や麻生太郎氏はじめ、西日本出身の政治家全般にみられるものでもある。天皇皇族もそれをもっている。実際にあるのは「強弱と善悪は違う」という事実であり、強い悪人もいれば弱い善人もいる、という歴史上あったことに限らない現実だ。強い悪人を強い善人と混同もできない。茂木氏はじめ明治美化論者達の中では歴史観や世界の解釈が単純化されすぎており、数多の弱者虐待が正当化されてしまっている。現在においても同じで、大衆迎合マキャベリズムの中では多数派が強い権力をもって悪事をしていること、弱い善人を虐待・虐殺・封殺していることが正当化されてしまう。大衆迎合マキャベリズムが本物の悪だということはこれで誰もに分かるはずだ。それをもつ茂木氏も、はっきり危険思想家だといえる。
 大衆迎合マキャベリズムは、現実には衆愚政として現れる。多数派が数で横暴し、ありとあらゆる悪業を正当化する。北海道をもちあげ茨城をおとしめ、自民党をもちあげ自由党をおとしめる。米中をもちあげ南北朝鮮をおとしめる。都会をもちあげ田舎をおとしめる。全て卑怯者が群れて行う悪業である。茂木健一郎氏がこの種の大衆迎合マキャベリズム的な主張を、かなりの影響力をもちながらしばしばしていること、それが自分の中では極めて危険なこと、知識人としてあるまじきこととして感じられるので、百田尚樹氏の様な分かり易い例でなくともその種の野蛮な悪意が隠蔽されていると指摘しておきたい。
 米軍は、その種の大衆迎合マキャベリストが妄想している様な完全正義の軍隊では全然ない。単に強い軍なだけだ。アブグレイブ刑務所での事件をみるがいい。大義なきイラク戦争で一般市民に炭疽菌をもちいた軍が正義の筈がない。マキャベリズムは危険思想であり世界最悪の大公害をもたらすものなのだ。暴力がどれほど強烈でも、悪はそれによって全然正当化できない。これがこの世の真理だ。非暴力不服従によって独立を勝ち取ったガンジーがそれを部分的に証明した。善悪と強弱は違うものだ。だから人は少なくとも常に善く生きねばならず、いかなる強い暴力の前でもその善を失ってはならないのだ。天皇軍が日本内外で飛鳥時代以後に行ってきた侵略は、はっきりいえばどれも悪業だったというべきだ。侵略罪を正当化などできない。みずから天皇と称する奈良発の中華皇帝政府(現日本政府)は大化の改新からこの約1400年間、実際には各地の主権を侵害し樹立されてきた。天皇政府が沖縄に米軍基地をおしつけているのも同じ悪業だ。天皇権力が日本政府を間接的・直接的に指揮し、どれほど自らの悪業を隠そうとしても、都合が悪ければ宗教家のふりをして責任逃れしようとしても、無駄である。天皇の世襲権力こそ、大衆迎合マキャベリズムの根源であり、薩長土肥ら西軍が明治時代に担ぎ上げた悪しき力だったのだ。天皇権力や薩長藩閥が各地の主権を侵害する悪しき力だと分かった以上、その力を世界から退け除去していくことこそ、我々の正義でなければならない。同じことは北海道をもちあげ茨城をおとしめる、母数が無作為的な多数でない擬似統計による、東京発の報道の暴力についてもあてはまる。
 茂木健一郎氏による大衆迎合マキャベリズムに類する言説については、西軍の肩をもち最後の将軍に冤罪をかけたテロや、内乱による犠牲を正当化する悪意ある薩長史観の批判と共に、今後も監視しながら、しばしばその誤りや悪業を指摘する必要があるといえるだろう。ペンは剣よりも強し、を思い出すべし。