2019年2月18日

実名・偽名・匿名サイトの特性

以前、某ユーチューバーが「匿名で名著を残した人がいるので、匿名が卑怯とは思わない」と主張し、自分をブロックしてきたことがあった。しかし、これは現代日本のネット環境を全く経験的に知らないことによる空論である。現実の日本人全般は匿名をほぼ確実に悪用する。無責任は悪用の鼓舞なのだ。
 5ch(旧2ch)が日本でネット犯罪の巣窟となってきたのは既に警察その他に周知されている。逆に、実名を含め個人特定が可能な条件で、人は世間という監視者からほぼ確実に責任を負わされるのでその種の悪業をし辛い。責任と自由(自律)には表裏一体の関係があり、真の公共性は有責の下のみある。
 日本のネット環境での匿名擁護者は、匿名性がまれに善行の手段になりうるという例外的条件を以て、全体の大多数を占める犯罪的悪業の鼓舞に目をつぶっている。正しくは、ネットの匿名性を最大限なくしていくことで、恥の文化論でいわれる罪悪感をもたない日本人らが悪事し辛くするべきなのである。いいかえれば、「羞恥心」という日本人一般が内面的良心の代わりにしている社会的制動装置を使って、実名・個人特定を必須の条件とするネット空間を基本として広げていくことで、日本のネットが匿名犯罪の巣である状態は海外と同等程度に浄化されるはずなのだ。
 フェイスブックは実名制をとることで、内部で犯罪者や悪業をすぐに特定でき、荒らしがはびこる危険が少ないコミュニティを形成した。このため精神年齢の高い人達、社会的な地位の高い人達が主に使う様になった。インスタグラムもフェイスブックに買収され同じ公的社交場の類型をもつ様になった。
 フェイスブックの真逆の類型が5ch(旧2ch)やアメーバピグ等の匿名制のSNSであり、ネット犯罪や荒らし、出会い系の場として悪事三昧されている。それは匿名の悪用が前提になって無責任な言動がほぼ放任されているせいだ。両サイト利用者は「犯罪をやめさせたければ警察を呼べ」と脅してくる。
 日本でのユーチューブやツイッターは偽名を用いる人が一定数いて、実名制と匿名制の中間の性質をもっている。匿名で悪意ある返信をみなれている有名人の一部は、実名の真剣な返信も、自分の意見と違うだけで不愉快と感じ平気でブロックしてしまうのはこの為もあると思われる。
 自分に言えるのは、実名制の社交場が見栄の張り合いによって嫉妬と羨望の渦に終わり易いという負の研究結果があるのはわかっているが、匿名制のサイトがもつ犯罪や悪事を前提にした不良性に比べれば遥かに上等な世界だろうということだ。匿名制はウィキリークスの様ごく希な例外でしか正しく使えない。
 偽名制(実名・匿名も自由に選択できる)は、実名制ほど立派な社交はできないが、匿名制ほど最悪の事態が頻発する訳でもない。しかしこの場合、中庸が最善かというとそうとも思えない。偽名制サイトの意味は、善悪両面に渡る幅広い類型の人々が、多様な行動をとっているということにあると思う。なんらかの理由で実名の都合が悪い、と考えている人は、大概は薄暗い考えをもって偽名を悪用している。希には公的立場があって内部通報的な意味でそうせざるを得ない英雄もいるだろうが、大体は匿名の代わりに偽名で金儲けしている。だから実名制より起こる悪事の幅が広いのが偽名制のサイトである。
 結局、我々がインターネットを立派に使いたければ、実名制を基本とした用い方を前提にするのが善い。その際には5chやピグのよう匿名制をとる不良の溜まり場的サイトで実名を名乗っては絶対にいけない。刑事訴訟事件のもみ消しを謀りたがる運営を含め極悪人達からあらゆる犯罪の火達磨にされるだけだ。また偽名制をとるツイッターやユーチューブ、或いはティクトクの様なSNSを使うときは、十分に注意を払い、匿名系の荒らしから悪意ある犯罪行為をされる可能性があるのを認識していなければならない。偽名サイトの運営側は公平ぶって、偽名を用いる犯罪者側の肩をもつことがしばしばあるからだ。
 人間は実名・個人特定可能な条件下でしか、真に心を開いて交際することはできない。裏を返せば偽名や匿名は一般に、その種の真剣でない交際のときに使われる条件になっており、特に匿名は荒らしに極めて都合がいいので一方的な犯罪や悪事に使われる。言論の自由がある国で実名を使わないのは訳がある。
 自分は匿名・偽名サイトの世知を得たので、その種の条件下でしかありえない美質の様なものが全くないとは思わない。いわば仮面舞踏会の様に匿名・偽名の元でのみ行われる演劇的な祝祭性というのも希にはある。匿名・偽名を善く使える者には、或る知恵が有るのだが、ここで説明しきれない。いずれ何かの機会に、自分が得た範囲で、匿名・偽名を善く使う知恵を解説するかもしれない。体系的にその種の知恵は学べると思う。