三島由紀夫「アメリカ流の肉体崇拝は、プラトニズムの堕落」
日本の武士道倫理的な伝統の中では、心の価値の前で見た目の美醜を言うのは下品なこと。アメリカかぶれの人達や、主に東京都の町人階級の末裔にあたる人達が、人の価値として見た目の美醜を強調しだした。男女の別は本質的な関係はない。愛子内親王と佳子内親王の見た目は、世俗的な見方ではかなり違うが、皇族に美醜の差別を適用するのは不敬にあたる。これが日本の伝統的な心の価値を重んじるという美意識の名残。
ブスの語源はトリカブトの塊根を意味する附子とされている。食すると毒で無表情になるので醜女の意。狂言から流行ったと一説にある。イケメンは雑誌『egg』で使われたイケてる(関西弁で魅力的)+men's(男性物)から派生した平成の俗語。
より古いのはブスだが、更に古い醜男という古語もある。
醜男は『古事記』で大国主の名に使われていたよう古くからある言葉だが、強く逞しい男という意味もある。美女が択ばれるのは同『古事記』でコノハナノサクヤビメの神話(醜女イワナガヒメを避けて結婚したので皇族は短命になった)が示すよう古代からあった傾向。
生物学の一説(竹内久美子説など)では、肉体の美醜(左右対称性など)は健康度の目安とされている。俗に(結婚相手の希望等をお見合いサイトなどが調査すると)男性はそれに加え扶養力(資本主義社会では経済力)が重視されるが、美醜も選り好まれるとされる。好みにかなりの幅がある上に、希望の見た目の配偶者の子が得られるとは限らないので、人の見た目はそれぞれ異なっている。