2019年2月25日

現実の日本女一般(例外はいるが)は寧ろひいきの引き倒しに驕れる強者である

女全体が弱者であるかのよう過度に一般化し、単純化して被差別集団を捏造しているんだな、女権論者は。現実には強い女性が弱い男性へ日常的にセクハラし、嫌がらせし、集団虐待さえ主導している。だが女権論者にとってこの事実は極めて都合が悪いから封殺したがる。
 これまで俺がどれだけ労働者の女に差別やら嫌がらせやら、とんでもない無礼極まりない陰湿な誹謗だか、権力闘争じみた集団での裏切りやら攻撃を受けたか。震災時にはそういう馬鹿女の一員に「男だから」津波が来る危険な場所だの震度6の中で倒壊する建物や路面の間を抜け校庭を見てこいといわれ、殺されかけたし。
 労働者の女だけではない。京女だの東京女だのの大部分の陰険さは筆舌に尽くしがたく、とんでもない悪性者だらけで、自分が利益を独占する為ありとあらゆる女権を乱用しているのはいうまでもなく、不公平なひいきを利用して虐げられる弱者の善良な男にあらぬ汚名を着せ集団虐待を主導さえしていた。
 女が弱者だというのは完全な嘘だ。現実はその真逆で、日本女のうち大部分は生まれつきひいきされていてその有利な立場を徹底的に利用して、虐げられる男をごみの様に扱っていた。自分のカネ欲しさにどんな卑怯なことでもする連中だった。陰湿極まりなく人間というより悪魔に近い生物だった。
 日本女の一部(某京女の小説家)は自分の性欲の為に弱者たる善男を徹底的にいたぶり、ごみ以下の様に扱いながら周辺のとりまきから悪意ある犯罪をしかけさせ、殆ど死の間際まで追い詰めていた。極悪人どころか悪魔以外何者でもない。しかもそんなのが東京で出版業界に媚を売ってカネと名誉を得ていた。
 現実の日本女は集団虐めを何より好み、善悪の観念はなく、群れる為に群れながら保身を第一に図って善良な人間(日本人と外人と、男女を問わず)を集団虐待し、東京だの愛知だの関西だのから淫乱さを自己喧伝して何の恥も感じていなかった。これは本当のことだ。現実に自分が見てきた日本女一般の姿だ。関西女は京女を中心に陰湿な嫌がらせを文化だと思っていて悪口・陰口・陰謀による虐めを何より好んでいたのが自分が会った限り殆どだったし、九州女の場合は礼儀というものを何一つわきまえておらず男性より遥かに野蛮な振舞いを好んで行い恥じる気配などかけらもなかった。女が弱者? ありえない。
 大嘘つきどもが。地獄に落ちるだろう。
 日本女一般は、東京で違法な売春で金儲け三昧し、犯罪者ながら贅沢な暮らしをして恥じることも罪を感じる能力もないし、そんな下衆の頂点にいるのが皇族女で国税を浪費して海外留学しながら浮浪者を少しも助けようとせず高慢極まりない態度で発情ばかりしている。それを外人が勘違いしているのだ。日本女性は生まれつき不公平にひいきされるので、卑怯に男に媚を売って保身を図る術に練達していき、10代になる頃にはもう男をごみの様に利用して自分が望む発情相手と交尾する為ならどんな卑賤な手段でも平気でとる様になるのだ。そして友人だろうが興味のない男だろうが平気で裏切り女権を乱用する。
 本当の日本女の姿を、0歳児からみてきた人間にしか知りえない真実というものがある。自分は家庭内が父親を除いて女だらけだったので余計よく分かる。欧米流儀の女権論のつもりで日本女を判断したら180度間違えて手酷い目にあうに違いない。卑怯な悪魔的な性質を持っている連中だというのが真理だ。
 某セクハラ有名人女性ブロガーをみたらいい。ああやって経済弱者だの性的弱者の男を日々罵り差別し、自分に都合が悪くなったら泣いたふりをして欧米人の女権に媚を売って保身をはかる。二重基準で自分が内国的のみにやっている蛮行には目をつぶる。いずれ全てがばれて必ずばちがあたるにちがいない。
 そもそも日本女一般が仕事の上で出世したがらないのは欧米流のガラスの天井があるからなんかでは全然なく、男に寄生して楽して暮らしたい一心で自分から労働を男にまるごとおしつけ、自分はアメーバピグだの下らないワイドショーだのを見て日がな一日、弱い者虐めを匿名でやって遊びたいからなのだ。なぜ日本女一般が経済弱者である男を徹底的に差別し、罵り、人間とも扱わずに集団虐待しているか、男性の自殺率の異常な高さを見てこれでわかろうというものだ。日本女一般が卑怯で狡猾すぎるから自分だけ男に嫌な仕事をおしつけ楽したいからなのである。
 欧米女性は仕事をして男と平等に扱われたいと願っている。ところが日本女はこんな立派な精神性なんかかけらももっていなくて、女として生まれつきひいきされながら嫌な仕事はみな男におしつけ、自分は家で適当に機械に家事させたら下らないスマホゲームで夫の給与で課金しまくり匿名不倫したいだけだ。自分は或るフランス女のハーフが食えない芸術家を養いたいといってるのを見た。他にフランス女性とかノルウェー女性とかアメリカ女性と会話したけど、ただの一人も男に経済的に寄生しようなんて思ってるやつはいなかった。日本女だけである。本気で。どれだけ歪んだ根性なのか。教育のせいですらない。
 日本女をマンガアニメだのポルノで捏造された性的な理想像だと思ってる愚かな欧米人には永遠にわからないことだろうが、現実の日本女というのはそれほど陰湿な目的で男をだまし、自分だけ楽できる立場に全てを誘導しながら徹底的に搾取しているのが一般的な存在なのである。現実にはもっと酷いが。現実の日本女を間近にみて、一体どういう生態をもっていてどんな精神で生きているかを熟知している者になら、自分が今書いたことは全て当たり前のことだから、言わなくても分かるはずだが、自分はこの国で見た全てをいずれ外人に隈なく伝えるつもりだ。
 最後に付け加えておくが、自分は高校は男子校(磐城高校)に行ったのでそこで男性のみの世界を体験したけど、進学校だったからかもしれないが虐めの様なものは基本的に見当たらず、友情が当たり前に尊重される傾向にあった。しかし話に聞く所では共学では淫行三昧しているらしい? 虐めも多いらしい? で、僕個人が紳士だからかもしれないが、自分はシモネタみたいな下品な話も嫌いなので基本的に自分の周りでは誰もそんな話はしてなかった。真剣に美術やら将来やらを考えて、少年的な仲間と戯れながら真面目に生きていたのだ。 後に知ったが虐め三昧している共学世界では男が淫行したがるらしい?
 それで自分が思ったのは、女子高(いわゆる磐女)も近くにあったけどそこの女が自分に告白してきたこととかもあったから思うが、友情と恋愛だったら当たり前みたいに友情を選ぶ少年的な精神というのは男性一般の方が、より持ち易い態度ではなかったろうか? 少年漫画と少女漫画を比べたらいい。いいかえると、弱い者虐め三昧して恥じないとか、友情を裏切って異性と逃げるとかいう卑怯な態度は、男性的徳に反するから、少年世界では恥ずべきことだと考えられると思う。大人の男の中にその種の少年的道徳が残っていたら尚更だと思う。正義や勇気、友情といった男性らしい徳を尊重する態度。
  青少年期に、儒教でいう男女の別をわきまえて育てることの意味は、その種の固有の徳を自分の中で尊ばせる為にあると思う。だから育て方まで男女平等にしてしまうと或いは男も淫行を好み、純潔や誠実さを先ず尊重しなくなるし、女性は女性でそれに媚を売って貞操観念がなくなるのではないだろうか? 何がいいたいかというと、少年漫画で強調される、正義、勇気、友情といった徳目は男性らしい徳といえると思うが、これは男女の別をわきまえた環境でしか正しく育たないのではないだろうか? 逆に貞操、内助、清楚みたいな女性的徳(余り詳しくないが)も同じことがいえるのではないだろうか? 性差に徳が付随している、という考え方が時代遅れだと批判される余地があるのは十分よくわかっているが、それでもなお性差と性別が自己意識として一致している時にだけ自主的に発揮される徳というのもあるのではないだろうか。映画の主人公などが英雄的な徳を持っているときこのことは明らかだと思う。
 だから自分がここで書き残しておきたいのは、全ての性差を中性化し、性差の違いの中で中世の間に固有の徳と考えられていたものを全てなかったことにしようとするのは、単なる文化的な愚行だと思うということだ。男性同士の少年的世界の中で友情が裏切りより高い価値を持っているなどはその典型だろう。女性世界の中で、或いは中性化した共学世界の中で、友情より恋愛が優先され、恋人と逃避行できれば友人を裏切っても当たり前と一般に考えられているのではないだろうか? これはたとえだが、友情というアリストテレス以来の古典的な徳の重要性は、男女平等の教育では失われてしまうのではないか。女々しいといわれる男がいても別にいいし、弱い男性を差別する女が悪質なのも間違いないことだが、同時に、男性的徳なり女性的徳なりと考えられてきた性差上の徳目を、それぞれの性別と一致させている幸運な人がいることを否定するべきではないと思う。それのみが模範だというつもりはないが。
 結論をいうと、日本女の一定数が現に行っている、二重基準を使った、欧米人に女権を種に媚を売りながらその目の届かない日本国内では弱い男を差別しまくる裏表の激しい態度は、卑怯者のやることだという他ない。そして卑怯を憎むという日本では武士に由来した男性的徳も、否定されるべきではない。高校からの帰りの道で部活の友人と議論したことあったけど、漱石『こころ』の先生がKへの裏切りで女を得たことを罪に思って自殺したのは、友情が恋愛と矛盾した場合、恋愛を優先した者は裏切った友情に対し自ら責任をとる必要があるという訓話ではないか? というかそうしない限り自責を免れない。いいかえると日本女の一部が女権を乱用してやりたい放題し、日本の中で弱い立場に置かれている男を散々に罵り虐げてきたことは、その日本女自身がいずれ責任をとる必要がある。誰であれ不当に差別されないと憲法に書いてあるのだから。今までそうしてきた分はその女らが自ら責任をとらねばならない。
 論理が飛躍してる様に見えるだろうが、ここで共通の徳となっているのは「卑怯を憎む」「自分の行いには自分で責任をとる」という点で、自由を悪用すればその最終責任は彼女ら自身にふりかかってくる。この点、日本男性は最初から日本国内外で差別されているが、東亜差別を引きずってる馬鹿も同罪だ。