なぜ女はよく性なり性愛を、恋愛と呼ぶのか? 女性性にとって情緒的連帯の方が生殖より重要だから?
我々はある女が性を直接的に公然と、或いは不特定多数に表現しているのをみると、時にその下品さにがっかりするし、短期的にはいざしらず長期的関係をもつ配偶者とか母に向いていない様に感じる。
貞操なり純潔(日本語では童貞性とか処女性とも呼ばれるが)は一夫一妻に適応する私徳だ。或るネット芸人が男性の純潔を童貞という否定的ニュアンスを持つ言葉で貶し、Me
too運動を使って過去に性的嫌がらせを受けた男を公然と断罪しながら、男娼と結婚報告をしていた。この人は男性の純潔に負の価値しか認めてない様なのだが、それは浮気されることを前提に結婚しているということだ。恋愛工学という言葉をツイッター上で見かけた。この言葉は性関係を短期的に多数の相手と持つための技術を意味しているらしく、俗語でいえば「軟派の技」とか、「浮気の技」と呼ぶべきものなのだが、恋愛という語に性を含意させそれらの一夫一妻制に対する後ろめたさを隠蔽している様だった。
単なる恋愛には生殖行為を含まないものも含まれている(文通によるプラトニックな恋愛とか、生殖能力を持っていない対象との恋愛など)ので、広義の性愛と呼べるだろう。他方、性関係のみを純粋に探求している人達がいて、彼らが営利化すると性産業の人達になるが、これは公的には違法である。
宮崎駿の映画の中で、私は一番『借り暮らしのアリエッティ』が好きなのだが、その中で主人公の病弱な若者と小人のアリエッティの間には、生殖不可能ながらある種の恋愛関係の様なものが見いだされるかもしれない。それはこれまでなんという言葉で呼ばれてきたのだろう? 種族を超えた愛は博愛なのか?
非常に孤独な人が、懐いてきた猫など動物に或る愛を感じることがある。それはごく一部の異常性欲者以外にとって単なる種族を超えた愛であり、猫にとっては餌をもらえる可能性のある相手とのふれあいに過ぎないかもしれない。人、又は動物その他にとって、恋愛という言葉の範囲にこれは入るのだろうか? 種族を超えた愛は恋愛に入るのか。大長編『ドラえもん のび太と鉄人兵団』の中でも、のび太と宇宙人の作った少女ロボットとの間に生じた、恋愛の様な情緒が描かれている。類似の感情をオタク達が或る偶像へ抱いている様に見える。これは生殖対象を視覚的に誤解した、脳のエラーに過ぎないのだろうか。