2019年1月1日

Minimalismと文化資本について

必要最小な暮らしは殆ど人を発狂させる為にある。美術におけるminimalismが人生の様式として、家具や建築様式に採用されると、そこは監獄の様に人の精神を追い詰める。絶えず反復要素だけの単調なテクノ音楽だけを聴いて暮らすと、人は生きた心地がしない。
 新自由主義下で貧窮した都会人が、自ら装飾的要素になる一切の余裕をもたないが故にこの美術様式を生活化している時、その人は文化的貧困の中にいる。
 これにまさって文化資本に欠けているのが金儲けしか頭にない成金達である。ITや個人投資の発達がもたらした新富裕層は、蓄財を目的視した純資本主義精神の信者なのだが、そこで収集対象になっているのは信用貨幣と有価証券の絶対量であり、いいかえれば有限で必要な資源を独占するゼロサムゲームの赤い海を渡っているに過ぎない。そしてこの種の成金らは貨幣で計量化されない文化資本を無視する癖をもっているので、永久に囚人にまさる暮らしはできない。無論、我々が文化資本と呼んでいるものの実体は、この交換不可能で金銭化され得ない絶対値の中にあるのだから。