同時代に三流の文化人しかいない、といって嘆くな。どの時代でもそうだったのだ。己自身が俗評に惑わされたり、大衆の無意味な動向に左右されたりしていないか、下らない三文批評屋の売名に付き合わされたりしていないかに注意せよ。
どの国どの地域どの瞬間にあっても、低俗で悪徳に満ちた取るに足りない愚物連中に囲まれているというこの種の状況は同じだったのだから、そこで重要なのは自分自身が偉大な成果をあげているかに注力する事で全てである。
自らが聖人を超えた者でなければ、一体誰がそうなりうるというのだろう。