2019年1月21日

公徳について

政治家(議員、大臣、皇族、自衛隊員(軍人)や公務員)にすりよる人々(lobbyistを含む)は先ず例外なく自分の利得のみを考え、他人に損害を与えても、たとえ公害でも利己になる様な政策を、あの手この手で吹き込もうとしている。それに気づかず、太鼓もちを近づけ、自己の志操への批評を遠ざけるのが典型的な凡愚である。勿論、超少数派の公益を主張する者は、その政治家が未だ足りないことも自然に指摘するから、当人が傲慢なほど進んで無視される。もっと悪い事にはサイコパスが政治家である事が多く、この公務を偽装している人の真の目的は自己の権力の最大化でしかないので、反省などしようもない。
 他人による賞賛を喜んでいる様な人間は、そもそも人と見ても向上心が何もないのだ。そういう人が模範に足らないばかりか軽蔑すべき存在であるのもまた疑いようがない。
 小人は利に(さと)るといった孔子は、上述の人間模様を的確にいいあてていたものだ。義に喩る君子が政治関係者に殆どいない様な国は悪政を免れない。寧ろ民間に義人がいる様なら、それは適材適所となっていないのである。善政のもとでは民間人は公益に奉仕する政治家を尊敬しているので、政治批判のかまびすしさは単に民衆が衆愚だからではないのだろう。
 公徳とは自己犠牲を含む利他の習慣なので、義人が少ない商業国ではその種の個人は益々減っていくことになる。だから義人をみいだしたら我々は政治的にその人を最大限高い地位に就けるよう志さねばならない。