2019年1月30日

ツイッターで信者ビジネスに冤罪をかけられた話

はじめに

 きのう(2019年1月29日)とおととい(2019年1月28日)、あるできごとがあって、私は今ある感情を感じている。今日(2019年1月30日)起きたとき、その感情は非常につよく、まどろみの中まだ意識が無意識を覆っていないときのものなので、潜在的な感情なのだろう。今もなお残っているこの感情が、ときの経過と共に薄れ、あったできごとの詳細も忘れてしまいかねないので、備忘録としてそこで起きたことをここに記録しておく。また私自身この感情を完璧に整理できていないので、状況及び心理的分析と共に、今後いかに生きるべきかを自己に開陳する狙いもある。

ツイッターアカウント

 私は実名によるツイッターアカウント自体は、ツイッターのプロフィール表示によると2015年9月16日に登録してあったようだが、その後、長い間放置していて、殆どみていなかった。私は別にホームページやブログを作ってもいるので、主にその更新を自動で投稿させているだけだった。ところで諸々の経緯があって、アメーパ・ピグというSNS内外で私が主催してきている哲学部という一種の文化サロンに一区切りおいて、自らのツイッターアカウントに本腰を入れようとしたのが、おそらく数ヶ月前だった。最初はそれまで別の視聴専用のアカウントで見ていた中から、主要な人達をこちらの実名アカウントの上でもフォローしていったのだが、更に普段は視聴していなかったが少々興味がある別の人達もフォローしてみた。使い方を覚える為だ。色々試行錯誤してみようとしたのだ。

フォロー数300人以後

 やがてフォロー数が300を超えてきたあたりで、タイムライン(色々な人のさえずりが流れる、ツイッターのホーム画面)の情報の質が下がってきたように感じた。特にある有名人アカウントが自己宣伝の為にか彼自身をほめている他人のツイートばかりをリツイートしてきてうんざりした。また彼は彼自身の著作と関連するあるハッシュタグ(関連ツイートをひきだす文字列)がついている投稿をリツイートしまくるのだが、私はその内容が嫌いだったので疲れてしまった。
 そのハッシュタグがひきだしている情報は、後悔という感傷主義や、悲観主義を含むもので、みればみるほど憂鬱になるたぐいのものだったのだ。積極的にこれらを無視していたのだが、それも認知力を浪費すると気づき、ツイッターの設定からこのハッシュタグを禁止ワードに入れて対策をとってみた。しかしなぜか同投稿はタイムラインから消えてくれない。彼自身の投稿そのものはしばしば知的な内容を含むという意味で興味深いので、また彼が自己宣伝をするのも自由なことではあるし、私は困り果ててしまった。
 それでさらに対策を打って、彼のアカウントだけは個別にみることにし、フォローをはずしてみた。その他、ツイッターの色々な使い道を試してみようと彼の興味深い投稿に返信を書いてみる、ということをはじめてしてみた。だが確かにそれ自体は私にとって新しい試みで、私自身を新奇性によっていくらか高揚させはしたものの、また別の憂鬱な点が発生していくのに気づいた。彼は彼自身を殆どなんの批評的意味も知的内容もなく、あるいは諧謔などの面白い要素もなく褒めているたぐいの、いってみれば賞賛ツイートだけを、それらの返信や引用の中から選別し、リツイートしていくようなのである。
 虚栄心というのは誰にでも多かれ少なかれあるものであろう。また商人として市場に参加せずに生きられる人が多数派とはいえない今の社会で、彼のようにいわば自画自賛をくり返す行状で、ひとり東京テレビ業界みたいなことをするのも、また完全に自由ではある。ただそうであると分かってはいても、私は彼のふるまいにある種の軽蔑の念を感じずにはいられなかった。それは決して彼の人格に対する毀損やらその他、名誉に関わる問題ではないとつけくわえたい。私がここで真に書き残したいのは、私自身の内面に起きた変化だけだからだ。
 私がどうして彼の振る舞いに軽蔑感を覚えたかといえば、端的に知的誠意に欠如があるからだ。少なくとも知識人と公認される者が、知的に意味のある内容とか、人類の道徳的展開の中で鋭く且つ有益な指摘をさしおき、商業的自己喧伝を優先するというのは、紳士の名に値するとは言いがたいものがある。勿論、彼自身が紳士であってもなくてもそれは彼の自由であるから、彼自身の人格的尊厳は必ずや守られているし、そもそも知的誠実性というのはあらゆる知能の中でもある一部の特性である為、普遍的に期待できるものではないだろう。ただ、私はこのような彼の振る舞いや、彼をとりまく人々の言行を重々観察していたのだが、そこで他のインフルエンサー(影響力のある者)とツイッター内で称している人々の行状と照らし合わせ、ある洞察を得て行った。はじめから直観はしていたが、次第にはっきりと認識できるようになってきた。
 ここからおととい以降に起きたことに話はつながっていくのだが、これらの前提なしには以後今日の私の感情に至るできごととそこで私が覚えた内容は、おそらく明快になりづらいので、あとからふりかえるに際して必要な条件として書いてきたものである。

インフルエンサー稼業に気づく

 ところで私が得たその洞察というのは、フォロワー達を多数あつめて、何らかの情報発信をしているインフルサンサー達は、いわば新興宗教の教祖と全く同じことをしているのだ、ということである。教祖ビジネスといえば分かり易い。
 あるインフルエンサーは色々と常識とは違う意見を述べ、大衆全体の中から自分の同調者を募り、彼らに向け慰めを言う。すると彼らは嬉しがり、いわばインフルエンサーの信者となる。更に慰め中毒となった信者らは、現実逃避のため教祖のご高説に玉串代を出し始める。
 インフルエンサー教義の論争をひきおこす明らかな偏見へ、一般大衆の反感は当然のごとく向かう。それはだまされやすい信者の上にも向けられる。結果、己は不埒な他者から迫害を受ける選ばれた者であるという神聖なる自覚、実際には大いに誤解や自己認識に歪みのある狂信的抵抗者状態を捏造していく。狂信者達を自在に洗脳できる上、オンラインサロンとか著作の販売とか、講演料だとか、幾らでも信者からの貢納金を徴収する手段がある為、「新興宗教一度やったらやめられない」状態を、なんと今日のインフルエンサー達は美味しい飯の種にしていたのである。
 そもそもアイドル稼業だとか、芸能人や政治家や、皇族や、作家の活動だとか、もっと以前なら芸妓だとか遊女だとか、歌舞伎役者、白拍子、相撲取り、あるいは武士や公家、その他サービス業種といった類のものにはいくらか似た要素があるので、必ずしもインフルエンサー業だけが新興宗教的なのではない。ここでいえるのは、インフルエンサー稼業に潜んでいる危険性の大部分は、新興宗教一般が陥り易い傲慢と類似のものであるということだ。我々はオウム真理教とか、神道政治がひきおこした重大な事故という歴史をもっているので、宗派的傲慢に伴う厄介な問題点の詳述は他の学者に任せる。話を進めよう。

フォローの整理

 私がある人物によるインフルエンサービジネス風の教祖賞賛リツイートにうんざりして彼をフォローから外したところまでは述べた。次に私がツイッター上でおこなったのは、煩瑣になりすぎたタイムラインを一度、最小状態まで整理しなおしてみることだった。これは私には有益だったのだが、というのは非常に慎重に人物の格や、表現内容の重要度を改めて評価し直すきっかけになって、自分自身の価値観をも整理できたからだが、ダンパー数と呼ばれる人類の脳が記憶できる100人前後の数以下までフォロワーを、私は減らしてみた。
 一度にフォローを外すとツイッターの管理者側は何かでツイッターを悪用している人達と勘違いし易いらしく、同様のことをするには一度にフォローはずしをしても安全な最大数と数あわせをする必要が今のところあるようだが、私は200アカウントくらい一気に外しても問題なかった。
 明らかに私にとって無駄な情報が減ったタイムラインだったが、今度は、私にとっての雑音さえずりも多いが、たまに有益なことをさえずるアカウントもフォローから外れてしまっていた。そこで、途中からリストを使ってそういうアカウントをフォローしなおすことにした。
 リストは非公開にできるようなので、もともと誰をフォローしているかを他人に知られるのは何となく気持ちが悪く、頭の中身を覗きみられるような感じがしていたこともあって、今も全て非公開に設定している。
 こうして私のタイムラインは平和になって、ツイッターの使い方もようやく慣れてきたと思った頃、私はいよいよおとといの事件にまきこまれることになる。それは私の作ったリストの一つである、同時代人に関するタイムラインでのできごとだった。

ソクラテスの話

 そのとき、タイムライン上にある引用ツイートらしきものが流れてきた。私はそこに書かれていることを読み取るために、当該ツイートを私が愛用でもないが長い間つかっているDELLのPC画面上でクリックしてみた。
 そのツイート集を書いた人物は理解力が十分あって、私の祖父設計の家の1階にはじめから備え付けてあるささやかだけれど思い出深い本棚の一隅に、忘れ去られたように眠っているはず岩波文庫『ソクラテスの弁明・クリトン』について、とてもしっかりしていて、またわかりやすい解説をしていた。私の岩波文庫のあとがきより優れているほどだった。
 その内容こそが重要なので、むしろ私が感じた随分な感動についての具体的解説や、過度の賞賛の数々を敢えて最小限度に抑え、一言「とても感動した」という最も単純な感想を述べておくだけにとどめた方が、却って私の内面にまきおこった諸々の感慨は伝わるのではないかと思う。
 ではどのような内容だったかといえば、ソクラテスという人物が古代ギリシアのアテナイでいかに生きたか、その高貴さについてだ。ソクラテス当人の目線から語られた、実に優美に、実に必要十分な筆順で、だれもに彼の置かれた立場や否応なかった刑死の悲劇が伝わるだろう記述で、とても一言ではいいあらわせない巧みな物だ。私はこれに大いに感心したので、その場で少しその連続ツイートの周りの状況を確かめたものの、どうやら連続ツイートを書いた彼がその最初の記述に伴う現代に最も欠けているものの一つだが、人類史の中でも最重要であることはまずまちがいない主張を、撤回しつつあるのをみてとって、たまらず返信した。
 すなわちソクラテスは果たして高貴であったのだが、我々はその貴族精神に自主的に見習うべきではないかという様な内容であったと思うが、これは私個人の記録であるから、完全に正確であるかについては保障の限りではない。私自身の主観的印象としてはその様に脳裏に焼きついているということだ。ちなみに私はこのブログにこのときした返信から、以後、ツイッター上でやりとりした全ての私側の記述については記録済みであるから、万一、この手記をよみなおす後生が、より詳らかにそのときの状況、特に私の側に起きた思いを知りたければ同時期の他のブログ記事からみてとれよう。私がそこでいわんとしたのは、彼のすばらしい記述の偉大さ、ソクラテス批評の最高限度のたくみさ、すなわち華々しい文化的功績への心からの敬意の念は十分いいあらわせたかは定かではないが勿論のこと、何よりこの哲学の始祖の一人がもっていた立派な生き方を見習おうとするその魂の美しさだった。
 私は文学や哲学、科学書その他なんでも読書といえば大好物な読書人の一人だと自身を認めるにやぶさかではない。なんといっても20代の間ほぼ全ての時間を、この読書の為だけにつかったほどである。したがって彼の記述の比較級を超えたすばらしい出来栄えや、そこで語られた思想の貴重性はすぐに認められた。今こうしてふりかえって記述しているだけでも、ソクラテスの一生に秘められた重大な精神の高みを改めて敬仰し、それを伝えてくれた偉大な連続リツイートについて考えているだけでなおその感動が蘇ってくるほどだといったら言い過ぎかと思われるだろうが、事実なのだ。
 話は打って変わって、私は彼の述べたソクラテス理解は全世界の誰に恥じるものでもないほど立派な解釈を伴っていると今なお信じるので、そこで掘り返された貴族精神という眩いばかりの宝の原石が、何らかの理由で主張全体ごと撤回されてしまう結果、再び暗黒の情報界へ永遠にうずもれてしまうのが悲しかった。このため返信の目的は、ソクラテスの命がけの高尚さを最大限擁護することだった。今こうしてできるだけ冷静になって考えている段階でも、当時のアテナイに実在したソクラテスの魂に触れられるようで、嬉しい。話がもっと打って変わるのが少し遅れるが、どうしても記述しておきたいこととして、ベンジャミン・フランクリンが「イエスとソクラテスを見習うこと」と謙譲の美徳を述べていた理由は、それまでソクラテスについての部分だけ釈然としなかった私だったが、遂にここではっきりとした。立派なソクラテス解釈を教えてくれた某氏には感謝しかない。
 私の返信は単なる貴族精神ばかりか、ソクラテス理解そのものの素晴らしさを称揚し直すと共に、これを永遠に哲学の殿堂へと私を含め全後生の模範の為に飾り置く為のもので、私心は何一つ混じっていなかった。他意はなく、後に記述するが他者から多少なりとも向けられた下らない難癖は全て私にとって付属的で全く意味をなさないものである。
私の返信は、その一連のソクラテス理解を含むツイートがもともと向けられていた、ある別の人物の元へも届いた。私はこの人物については少し前にツイッター上で見かけ、少し調べてみたものの、さほど詳しく研究しようとは思わず、殆ど興味があるわけでもなかった。

教祖の登場

 ところで便宜的にその人物を仮にAとし、また連続ソクラテスツイートを行ったもう一人の人物をBとする。私はBの掘り起こした重要な精神と、そこに含まれる立派な考えを、現代にあっても回復するのが重要だと考えた。単純化すれば良心に基づく自重、真心、恥を知る心、これらが同語彙の多義性に伴って若干正確でなければ、哲学用語としてカントのいう義務というような、貴族精神につながる美徳である。日本のネット文化が匿名掲示板を中心に全く自重のない無秩序や犯罪集団をつくりあげたり、現実文化でもいじめやしばしばそれを喜劇的にいいかえたいじりといった集団心理からくる負の同調圧力、空気の研究とか全体主義などで知られている、恥知らずで罪深い側面をもっているのは事実で、外国での日本学や日本人自身の社会学者が、これらをより詳しく分析していくのは是非とも必要である。天皇制ファシズムという太平洋戦争やそれ以前から続く、重大な大量虐殺をひきおこした戦時体制についてまだはっきりとした反省や総括が行われたとはいえず、制度の改良、再発防止策も進んでいない。
 しかしながら、Aは私の返信の意味を遂には解せず、Aには難しすぎるのでより簡単にして欲しいとの旨でいいかえをツイッター上にて要求してきたため、私なりにより簡単化し同趣旨を再返信したものの、それを理解するのはAにはやはり無理だったようだった。
 その後、Aはなぜか彼をとりまく信者の一部に同調を求めるツイートをくり返しはじめた。私にはこれらが幼稚にみえたので、また、もともとAを何かに向けて説得するつもりもなければ、単にソクラテスの精神をBと同趣旨で称揚するつもりだったのだから、相手どるのをやめようと思い、一日が経過した。

名乗り文化の3類型論

 睡眠をとってから目覚め、脳内も整頓されたところで改めて考えてみると、この話にはある重要な要素が含まれているのに気づいた。それはある人が実名・匿名・仮名のどれかを使って著作物の発表をしたり、社会的活動をするにあたっての文化的な特性だ。詳しくはこのブログの別記事にまとめてあるのだが、実名文化・匿名文化・仮名文化の違いは、それぞれ、主に実名が偉業を、匿名が悪事を、仮名が演技をしやすくするので、実名高潔者文化、匿名卑怯者文化、仮名特別者文化と、鼓舞する誘因ごとに一般化すれば名づけられると私はおもった。
 ところで再びツイッターを見てみると、Aはなぜか彼が仮名で活動していることを誰かから責められていると勘違いしているようだった。Bにその様な意図はないか、既に撤回済みだとB自身が語っていたようだったので、これは完全にAの被害妄想に過ぎないのだが、信者に向けて扇動のようなことをいっていた。私はこの段階ではAの理解力にまだ期待をもっていた。Aは哲学しているといっているようだったので、理解に時間がかかるだけなのかもしれない。それで名乗り文化の3類型論が、彼の混乱の整理にも役立つ可能性があるため彼へその内容を返信し、ブログにも同理論と関連する考えを記述していたので、リンクもあわせて返信の最後に掲載してみた。
 すると驚くべきことが起き、Aは対話をやめて誰かまとめてとか、このことについて動画をつくるなどといい、私にとって青天の霹靂ではあったのだが私をツイッター上でブロック(彼のツイートをみれなく)してしまった。私は彼について特に知らないし、また彼についてなにを語るわけでもなかったのだが。いまだに私は、単に名乗りの文化的類型を哲学的に分析すればよいと思うのだが、なぜかAにはそれができないか、なにかについて混乱しているようだった。その途中で、これは記録の為に書いておくが、Bが私のツイッターアカウントをフォローしてくれたようだった。また、Aが知性を称揚しているCという人物がおり、一連のことについて次のような意見を述べていた。
 Cいわく、匿名(彼は仮名という概念を使わず、匿名のなかに仮名を含めているようだった)で活動するAになんの落ち度もないと。私も全くそう思う。最初からそれについてだれも疑問はないだろう。
 それでこのCという人物なら理解できるのではないかと思い、というのもソクラテスや当時のアテナイ世界などについてある程度の知見をその人は述べていたからなのだが、私はやはり名乗りの文化的類型について話しかけてみた。

冤罪する信者

 するとここでも、もっと驚くべきことが起きた。そしてこの手記で、最もいいたかったのはこの部分なのだが、いきなり私に嫌疑をかけてきたのである。どのような嫌疑かといえば、「Aの匿名性を私が責めているがAになんの落ち度があるのか、誹謗になりかねない」などというのだ。これはこの記録を残している今でも、私には凄まじい衝撃で、殆ど天地がひっくり返るくらいの内心的傷害を受けてしまうのだが、最初から何一つAに興味どころか関心も殆どない私が、しかもソクラテスの高尚さや文化類型について哲学的考察をしているだけの私が、なぜかCに濡れ衣を着せられたのである。
 濡れ衣というのが大袈裟なら、ただのあらぬ嫌疑のようなものではあるのだろうが、そこに私は極めて大きな悪意を感じた。私がもし神として状況をみていたら、あるいは第三者として一連の事象を眺めていたら、確かにこのCによる言葉には失望に似た驚きを感じざるを得なかったであろう。
 一体なぜCがこのような冤罪、もしくは悪意ある嫌疑、あるいは単なる誤解か無理解によるこの心無い言葉を吐いたかについて、私の想像力を限界まで使ってその後、1日かけて考えてこれを書いている今に至るが、殆どわからない。ひとついえることは、私がCという人物に話しかけたのはそのときはじめてで、Aは自らのツイートでCを知性的だと称揚したようだったし、それ以前からCはAに詳しいか親しんでいるか、いずれにせよ親近感をもっているかのように私にはみえたので、Aにわけもなく同調する為に、A自身の被害妄想から来る錯乱となぜか全く無関係の私に、あらぬ嫌疑をかけようとしたのかもしれない。もしそれが単なる誤解や無理解によるものだったとしても、冤罪はそれ自体が人類が行いうるありとあらゆる蛮行の中でも最悪の類型の一つなのは自明だから、Cによる数ツイートが私には衝撃的だった。
 私は事態を察し、できるだけはやくこの悪意ある、もしくは無理解や妄想からくる錯乱が蔓延している人々の輪から抜け出、二度と関係しないようにしなければならないと危機感をもった。冤罪をこんなに簡単にする人がもし現実にいたらと思うと、いまだに背筋がぞっとするのを禁じえない。
 勿論ツイッターも現実の一部だ。Cも実名でのツイッターアカウントだったようだったし、濡れ衣による侮辱罪そのものもまれな場合にせよ成り立つので、私自身が被害者になるのを避けるべく、Cに一通りの挨拶を書いてその場をすばやく離れた。
 私はまたインターネット文化や、日本人達の実にげに恐ろしく、陰湿で陰険な悪性の一部を覗き見た感じがした。ツイッターがその様な場を生じさせるはるか前から、主に視聴者として界隈をみてきた私には、これはツイッターも悪意ある人達の媒体として近い将来、深刻で重大な事故につながるであろう余震とも思われた。
 私はAとCをミュート(こちらから相手のツイートが見えない状態にしていることは相手には伝わらない)し、一刻でもはやく不慮の災害から身を安全な場所に匿う必要があった。

義憤

 私の魂は繊細で、特に他人の悪意については極めて強く拒否反応を示すようにできている。そういう性質をもちあわせていない人にとって、すなわち鈍感だったり他人の悪意をある種の薬物のように簡単に消化できる人にとっては信じられないことだろうが、私にとってははらわたが焼ききれるより強い痛みだ。
 義憤。おおよそその陣痛よりはるかに強烈であろうはらわたの痛みを感じつつ、何とか他人の悪意が与えた恐怖感のなかで、自分という存在の根底から揺さぶる震度も知れない大地震がもたらす絶大な不安におののきながら生きながらえて、一日がたった。それが今だ。
 生きながらえようと何とか筆を執った私が、これらの記述をどんな面持ちでしているか、未来の私を含むかもしれない読者に想像はつくまい。唯一つたしかな真理として後生に伝えのべておけること、それは人の肩書きほどあてにならないものはない、という常識だ。

教訓

 私がこの2日、今日を含め3日間、教訓とすべきなのはある肩書きを掲示している人が、実際にはそれと正反対の性質の持ち主で、寧ろその人が成りたいが到底届かない精神的態度への憧れを示すものとして、肩書きを掲示していることがある、という重要な真実である。ある初対面の人を肩書きもろとも信じたが為になぜか裏切られ(不本意にブロックされ)、その人が知性を認めているといっていた別の初対面の人をも信じたが為に更にひどく裏切られた(冤罪にあたる嫌疑をかけられた)。どちらも人の肩書きや評価を信じることの危険を教えているツイッター上での経験だ。
 読者は、改めてこの経験を反省し、次の処世術を執る私をどう思うか分からない。ただ私はその方針を執るつもりでいる。それは二度とツイッター上で他人と議論しないことだ。原則的に返信も書かない。単に自分の意見を述べることこそあれ、他人とのやりとりは完全停止する。コミュニケーションしない。
 この世は本物のふりをした偽物が多い。人の肩書きを信じて痛い目にあった私だけでなく、誰かが別の誰かを評価している時にも最大限の疑いが必要だ。他人の評価には表面的な言葉の裏に意図があり、真実を語っているとは限らないのであり、そもそも評価自体が間違っていたり、評価基準が違う事さえある。

信者ビジネスの行方

 またインターネット世界での信者ビジネスの行方について、この短い手記の中で全て分析し尽くすには紙幅が足りず、別の機会にゆだねる。我々はこの新たな新興宗教がもたらす甚大な災厄を待っている段階だが、遠からずそれは起きるだろうし、既に起きている炎上の火の粉の一部が、偶然私にもふりかかったのかもしれない。実際、炎上ビジネスで注目を集め、派生的商品を売ったり広告収益を獲得するという手法は一部の個人ビジネスとして殆ど使い古されている。怨みを換金したところでそれが邪教であるのに変わりなく、公害宗派としてこれらの教祖らの未来はいわずもがなだろう。
 信者ビジネスが新手の新興宗教として世間を席巻していく前に、教祖らの放った火の粉による大火傷で済んだ私は、寧ろ幸運だった。この深い心の傷が癒えてから、私は二度と信者ビジネスをはかっている多くのインフルエンサーらに近づくことはないだろうし、それは立派な現代の徳になるだろうから。

より善く生きる

 より善く生きるという当たり前だが達しがたい目標を掲げ、道徳を追求するわれらは今日も世界から学んでゆく。まだ心の中にはあるわだかまりがあって、それを十分吐き出すには別の表現が必要らしい。
 私は芸術家として生きようとしてきているので、幸運にも表現の方法について色々試せるし、また今後も訓練をつづけていくだろう。この手記は私自身の為に書いた備忘録だが、たまたま読む機会がある人にも何かの教訓を与えるものになるよう配慮したつもりだ。私の他の創作にもどる為、ここで筆を置きたい。