学ばせる必要がなければ愚者に時を費やすのは全く有害でしかない。一律の集団教育も、それを福祉の一部として義務づけるのも、どちらも或る個人が自らの力で学ぼうと意欲に基づいて勉強しない限り、程度こそあれ有害になりうる。そもそも生まれついての愚者は普く学ぼうとしないし、教えを受けても感謝しないどころか逆上したり、教育者へ犯罪し罠にかけ濡れ衣を着せたりする。総じて愚者に時を費やすのは慈善以外何物でもないし、投下資本利益率といった観点から凡そ意味をなさない。生まれついて優れた者を更に優れさせる費用は、そうでない者をひっぱりあげるより遙かに低く済むし、期待収益という観点から教育投資が容易く効率的かつ合理的である。即ち、義務教育は一律の物なら凡そ期待収益率が低いだろう単なる慈善事業であり、行政や私人による福祉の一部と考えられるべきである。