2018年8月13日

高福祉完全競争市場主義、或いは『21世紀の資本』の批判

資本収益率が消費者からの付加価値の搾取によるからには、企業の営業収益は同時代の市場取引に現された顕在的需要を示している。これは非金銭的需要や、市場外取引、将来の需要、潜在的需要を示さない。つまり資本収益率はそのおもたる搾取の源泉である営業利益、付加価値と呼ぶ差額を製品奉仕に上乗せし消費者から同時期に搾取する分量についてのみはかられた限定的指標で、決して需要全体の表現ではない。
 ピケティが資本収益率を、元々異なる単位である経済成長率と比べているのは、『21世紀の資本』が虚構と示す重要な批判になりうる観点だ。経済成長率は企業全体の付加価値の総額を国民の総数で百分率化した値の増加率を計測したものだから、単に一企業または企業全体が付加価値として同時代の利害関係者から搾取した収益を企業の資産で百分率化した数値とは、百分率であるという事をのぞけば基本的に全く異なる対象でしかない。特に経済成長率は非上場の企業活動も含まれ、独特の調整値が国民総生産の計算時にあてられるより煩雑かつ夾雑物の多い指標である上に、そもそも年ごとの国民総生産の増加分を百分率で比較したものだから、大まかにでも単に年次で計算した資本収益率と比べたければ非上場の企業もそこに入れなければならないし、しかも比べるべきは資本収益率自体でなくその年次増加率でなければならない。総じてピケティのいう資本収益率は、経済成長率に対して上記の比較上の欠陥をもつ指標でしかなく、はっきりいえば格差拡大の確証バイアスに無理やり比べえない指標をすりあわせた詭弁であると私には思われる。その上はじめに示した通り、資本収益率自体が同時期のある市場で金銭上顕在化した需給の限定的指標でしかないから、経済成長率の基準となる国民総生産自体と同様に生活の本の部分をきりとったにすぎず、しかも資本収益率の方はそれが上場企業というごく限られた市場取引の年次性にしかあてはまらない。事情は経済成長率の計測に実質賃金による国民所得を使ったり、資本収益率の計算に資本収益の年次増加率を全上場企業にあれはめても、それが需給の限定的指標でしかなく、もともと上場企業以外に広範な国民生活が含まれるからには、結果は似通っているだろう。
 これらからいえるのは、企業または個人全体の部分である上場企業が、国民の経済生活全体に比べ、計測可能な公開された財務諸表上より高い収益上の年次成長率をもっているだろう事はいわば当然で、総資産に対する収益をあげる百分率上の割合が高い人々が一社に集まっているからこそ、そこが全体に対してより搾取の効率が高いのだ。これはピケティの示したr>g(the rate of return on capital>economic growth)の公式が前者にROE(Return on Equity)としてROA(Return on Assets)より狭義の株主資本利益率の年次増加率を用いていようと、また営業利益を分子にしROC(Return on Capital)・ROIC(Return on Invested Capital)の年次増加率を用いていようと、比較する対象がある国民全体だったり、国連加入国全体だったりすれば同じ結果である。なぜなら経済活動全体の中で収益をあげる効率の高い部分が更なる高収益を目指し熾烈に競合している上場企業と、元来その様な目的をもたない一般国民の大部分を比べるべくもないし、人生の幸福が上場企業の中での高収益という点のみに限られ定義され得る筈もないので、上場企業の経営者や会社員、利害関係者の付加価値と呼ぶ搾取の達成度と一般国民の人生の幸福や様々な目的の結果を市場取引という観点からのみ顕在化させた指標を比べるべきでもないのだ。言い換えると、高収益を絶対的使命の一つとされた上場企業というそれが計測可能な域に限った資本収益率の年次増加率が、経済活動や収益向上が目的でない一般国民の市場取引の緩い総体における年次増加率と比べても、当然前者が高い数値を示し出すだろうとしても、目的や使命が異なる2つの指標を並べ大仰に危機を煽るのはアリストテレスのいう配分的正義を今更ながら再起させるだけに過ぎないのだ。寧ろそこで言われるべきなのは調整的正義(矯正的正義)の必要性であり、実際この様な多少あれ経済学上の詐欺じみた比較指標の非厳密さを無視しても、新自由主義や自由人主義(libertarianism)における自由市場の規制緩和のみでは資産の偏りを極端化する事こそあれ、累進課税制度による再配分(結果平等へある程度近づけた税の調整、及び機会平等の完全化)の調和的正義への不可欠さをほぼ全く緩和も補いもできないという事実の方である。ピケティも本当は単に相対貧者への福祉行政を合理化する目当てで、新自由主義や自由人主義の露悪や妄信へ警鐘を鳴らそうと主著を出したかもしれない。私達に言えるのは、『21世紀の資本』の経済学上の計算に非厳密さや、比較対象とする指標間にそもそもの哲学的な幸福論や目的論の定義に齟齬があっても、累進課税後の再配分によるある程度の資産調整と、政治的配慮による機会平等の完成は共に合目的で、これらの一般に社民的又は民社的な福祉行政は、市場の規制緩和という新自由主義や自由人主義に基づく完全競争性の実現と別に考えられるべきであり、しかも高福祉と完全競争市場は両立されるべきだという事だ。私はこれを分かり易く示す為、高福祉完全競争市場主義という造語をこの考え方のため仮に定義したい。