2018年8月13日

博愛について

無限の博愛という妄想で、人類を騙したイエスは磔にされ神の裏切りを嘆いた。彼を人類の罪の購いと解釈したパウロは、当為である博愛をなお合理化したがった。だがいずれの場合にも、アガペーが単なる狂信者やお人よしの妄想であり、イエスを磔にした民衆やユダヤ教徒だけでなく、人類全般はこれを殆どもちあわせていなかったと示している。
 博愛が当為でしかない、という観点は、人類を理解するにあたって極めて重要だ。これを実際に人類の過半がもっているとか、もっていない事実に対して嘆きをおぼえるのは完全に誤解によっている。だが人類が博愛的でなく、多少あれ利己的な存在に過ぎないという現実は、我々個々人が博愛をもつべきでないとは全く示さない。寧ろ人類全般が邪悪で公害的かつ、個々人は利己心のとりこに過ぎないという冷酷な現状に対し、博愛を体現しようと努力し、日々それに近づく程その人は優れた人格である。