2018年7月2日

拝金主義と改良資本主義

資本主義は資源を同時代需要に基づいて最適配分する為に合理的な思想、新宗教として多くの人類の経済的な考え方を牛耳ってきているが、その欠点として未来の世代や同時代の公害全てを考慮に入れられず、金銭に還元されない価値を無視してしまう事などが見つかる。つまり資本主義が最悪の使われ方をすると、未来に破滅を、同時代に大公害をもたらし、且つ金と関係ない人間の命や幸せを含む生存価値のすべてを侵害してしまう。しかも資本主義一般は、商才に基づいて格差を極大化するので、商才以外の能力を淘汰なり軽侮させる原因となり、超少数の単なる守銭奴が人類の富の過半以上を独占する悪い結末に至る。
 これらを主とする資本主義の負の面を堕落した悪意で容認する人の考えを拝金主義と定義すると、資本主義の利点を顧慮しつつその欠点を改良しようという基本的な態度をもたない人は、或る場合には彼らの信仰の故に自他に有害である。
 改良資本主義と呼ぶべき考え方が、政府による調整、公共投資を容認する修正資本主義や、市場放任を前提としつつ高福祉の為の累進的高税率を要する社民主義などとして試みられてきた。しかし自由至上主義・libertarianismや、新自由主義がこれらの完全自由市場の理想へ与えている阻害要因に反論してきた。だが自由至上主義や新自由主義はその拝金主義的側面をもちあげられておらず、寧ろ配分正義に偏った格差のほぼ無際限な肯定を含め、ますます資本主義の負の面を強化しようとすらする。つまり修正資本主義や社民主義といった改良資本主義の諸思想は、少なくとも自由至上主義や新自由主義からの反論に十分耐え得る論理的基礎を持っていることになる。改良資本主義の中で、多数派の功利、質的快楽としての幸福増大に志している思想が複数あり、客観的幸福度の調査について成果も十分出ているにも関わらず、拝金主義的諸思想を妄信する衆愚は、単に無知でなければ害他的な利己主義者という意味で悪意か、どちらかである。従って人類の必然的進歩は、拝金主義的諸思想を遠からず脱し、又そこから脱し得なかった人々を反例として置き去りにする事で、改良資本主義的な社会を構築し、既にそうなっている国々、地域を参考に、更に優れた思想を自由に己の関わる社会へ適用しようとする事が明らかである。