2018年3月9日

利己心と個人主義の違い

愚者は利己的で、他国や他地域を無知にも関わらず利己の為に侮蔑する。東京都民や京都府民、神奈川県民、大阪府民、名古屋市民、仙台市民などの都市民や、愛媛、富山、石川、長野などから都心に出てきた下衆が訳もなく他国他県を侮辱したり差別している光景を私はくりかえし見た。そして己の暮らす東京、京都、大阪や仙台を訳もなく自画自賛するのである。これらの者はいうまでもなく傲慢な愚物であるが、なぜこの様な連中が現れるかといえば、愚者の脳は第一に利己的で、第二に反証的思考のできぬ単細胞であって差別的偏見を持ち易く、第三に彼らの周囲にいる多数派に群れる事で己の愚かさや悪意悪行をごまかそうとするので風説を鵜呑みにし易いからである。
 愛国心とは利己的な差別観であり、自己に都合がいい偏見を集団規模で集めようとした空しい試みの末路である。私は或る都民が突如、都心を知る或る人を田舎者と侮辱しだした奇妙な現場を見た。その都民はその人が都心育ちである事を知らず、突然、その都民が行った事がない都内のある場所について語る者を嫉妬からか東京に対する虚栄心からか侮辱しだしたのだが、この愚劣な典型的都民は同時に、他国を凄まじく差別するネット右翼でもあった。因みにこの都民は子がいながら仕事を怠け、昼間からインターネットを使って不倫相手探しを趣味とする下種で、ブログでもSNSでも某国をことさら差別していたが、その国の音楽ファンであって韓国名を名乗る東京界隈の若い女が臨席しても何ら誹謗せず、下心からか盛んに同調さえしていた。つまり、差別という極度に単純化され定型的で非科学的な悪意ある思考類型を持ち易い脳は、自集団ひいきという妄想をいだき易く、利己心を利他心より優先し易く、この点で大脳新皮質や前頭前野が未熟であって、物事を多角的に分析できなかったり、反証的に偏見を脱却できないという意味で一般知能も低いと考えられる。右翼一般にこれらの傾向が比較的あると仮定すると、これらの逆傾向がある人と右翼一般が議論しても互いに平行線を辿るのは自然だといえるだろう。なぜならこの右翼の脳は低い一般知能や、大脳新皮質、前頭前野が未熟で利己的な傾向の故に、利己かつ害他的である事を善と誤認しているのだし、己と同じ傾向をもつと想定した自集団ひいきが自集団一般にとって当然だと妄信し、この御都合主義に他ならない自己の思考型を客観視できないからこそ、猛烈に利己的だからだ。
『文明論之概略』で福沢が偏頗心ともした愛国心は、この種の利己的な脳を増長させ、侵略や憎悪演説、虚報、あらゆる差別をももたらした。帝国主義、植民地主義の頃にやむを得ない手段として愛国心を定義した福沢だったが、『脱亜論』で東亜蔑視と欧米崇拝を強調した末路として、薩長イデオロギーに染まった九州を含む南西地方で特に憎悪演説は激しいままである。封建制度を恨む福沢は、儒学への偏見や西洋科学の過信からくる欧米崇拝なる愚行と、中韓差別の扇動という人道に反する犯罪的言説によって、普遍性を伴う思想家に遂になりえず、愚かで利己的な単なる欧米かぶれの扇動屋に過ぎなかった。福沢が『福翁自伝』でハワイ王族や乞食をも差別的に語る場面を見ると、文化人類学や構造主義が生まれるずっと前だという事を抜きにしても、この人が人格的に優れていたとは全然思われない。同時代の岡倉天心は『茶の本』で、植民地侵略に晒され悲運に遭っているアジア同胞を友愛の観点から励ますどころか、人種差別や自文化中心主義で日本を含むアジアを蔑視している欧米人の野蛮さを糾弾し、反戦をさえ唱えているのである。アジア侵略を始めた明治政府を礼賛する浅はかな極悪人に過ぎない、戦争扇動屋の福沢を、岡倉はここで芸術論の立場から間接的にだが厳しく指弾している様にも解釈できる。少なくとも福沢が利己的な右翼脳で、日本美術を含む東洋の芸術を世界文化史の中に位置づけようとする、先覚的な文化人としての岡倉が決してそうでなかったのは明白である。
 この世に自集団ひいきを行いたがる脳の傾向をより強烈にもつ人々がいる限り、世界に差別や戦争が無くならないのも不思議ではない。これらの人々は普段から何かにつけて、自集団外と見なした全員に偏見を持とうと努めており、その為に能う限りの確証バイアスをかき集めて周囲の同等以下に愚かで悪意の人達へこの身びいきで恥知らずな集団心理を植えつけたがる。単に視聴率がとれるという理由で、都内衆報各社は作り事の自集団ひいき偏見を流し込み、虚報混じりで衆愚を洗脳する。皇室や自民党はこの衆愚的民情を触媒に利権を恣にする。利己主義に伴う害他性、公害の輪廻が、国規模の悪業の根源因なのである。
 愛国心や自集団ひいきに健全性などかけらもない。だから地球主義や自由貿易は、少なくとも原則的に正当化される筈である。個人主義が民族主義より合倫理的なのも当然というしかない。しかし、これらは国民一般へ内乱罪及び内乱予備陰謀罪を行い、政商行為等の反政府活動でカネを貪った坂本龍馬というテロ集団の指導者とか、TPP不参加詐欺という公約破りで自国農業や食料安全保障に致命傷を与えつつ、親族の務める三菱商事へ国税による軍需誘導で売国する安倍晋三といったサイコパス独裁者を正当化するものでは全くない。これらの利己的政商と個人主義は違う概念であり、前者は文字通り政治を濫用し国民を犠牲に私腹を肥やすが、後者は個人という最小単位に立脚しつつも、自国を含む世界に、必ずしも自集団ひいきではない自律した善業を行うのである。普遍的な見地に基づけば、世界中の最不利者を優先して助けるべきだし、同時に国内の極悪人を制裁しなければならず、これは集団についてもあてはまる。人は利己心をのりこえている度合いに応じて道徳的というべきだから、慈悲に基づいて極力分け隔てなく言行すべきであり、たとえ家族や友人、恋人、郷里の仲間といった共同体へ身びいきをどうしてもしてしまうとしても、この偏見と拘束からの自由度によって、賢明であるといえるだろう。究極のところ神の次元からみれば全人類は同程度に愚かだが、人間レベルでみれば尊卑に天地の違いがあり、卑しい人が自集団に少ない筈だという偏見は無根拠かつ致命的に危険である。無知の知や知らざるを知らざると為す、ダニング・クルーガー効果に示される様、うぬぼれが愚者に共通の欠点である。
 科学技術振興機構での山田真希子の実験『優越の錯覚はドーパミンの影響を受ける安静時脳機能ネットワークによって生じる』(2000年10月~2014年3月)によると、優越の錯覚の程度が大きい人ほど、行動や認知を制御している線条体と前頭葉の機能的結合が弱く、この機能的結合が、線条体におけるドーパミン受容体の密度に依存していると示されている。この実験結果によれば、線条体のドーパミンD2受容体密度が低いと線条体と前部帯状回の機能的結合が弱く優越の錯覚が強い一方、線条体ドーパミンD2受容体密度が高いと線条体と前部帯状回の機能的結合が強く優越の錯覚は弱い、とされる。ここでいうドーパミンD2受容体密度の低さが愛国心に基づく他国多民族差別の右翼脳や根底にある利己心、また東京中心主義や京都中華思想といった自己優越の錯覚にみられる傲慢やうぬぼれの原因になっている可能性があり、恐らく天皇家を含む皇族は遺伝的に、このドーパミンD2受容体密度が異様に低かったのだろう。自分を神の子孫と自称して人々を騙したり、現人神や象徴、天皇と自称して超人権的な暴利を貪る特権の地位を維持したり、挙句は憲法を破る違憲立法を命じて恥じなかったり、これらは厚顔無恥な自己優越感の妄想に基づかなければ到底なしえない事であり、したがってこのドーパミンD2受容体密度の異様に低いうぬぼれの極みにある邪教祖に洗脳されたり、政府を独裁されて居座られたりしている東京都民や京都市民が前提的で謎の優越の錯覚に囚われているのも、自己愛的な偏見をもつ一種の脳遺伝障害者から、宮内庁権力を濫用した宮内記者会経由の皇室崇拝虚報で洗脳を受けた結果であるといえるだろう。またこのドーパミンD2受容体密度が生後に変更できないとすればだが、利己心や愛国心、右翼一般、都民や京都人、その他の都市民にみられる傲慢な性格の原因が、脳遺伝子上の変異にある事が証明され、遺伝障害と捉えるのが自然だが、これらの自己優越の錯覚傾向を強くもつ人々が特に人口密度の高い都市にたかり易い原因を、セロトニン・トランスポーター数不足やドーパミンD2受容体密度の低さ以外にも我々は更に分析するべきだろう。なぜならその原因を知る事ができれば、これらの愚者がもたらす公害や害毒を防止する方法も悟り、対策し得るからだ。