2018年3月20日

卑しい人

卑しい人とくらすのは害があって益はない。卑しい人は学んだり、成長しない。卑しい人は学を嫌い、理論を疎み、行動を強調する。理論的でない行動は最も卑しい人でも、単に無謀なだけのいかなる動物でも行えるのであり、この為、卑しい人はくりかえし失敗し、遠からず落ちぶれ致命傷を得る。卑しい人へ説教したり、説得しようとしても無駄である。卑しい人は低俗な娯楽を好み、永久に高尚さに関心をもたない。人生で幸せにくらしたければ、卑しい人を避け、遠ざかるに如くはない。虐めや濡れ衣をする集団は卑しい人々の集まりであり、その集団から一刻でも早く抜け出し、二度ともどらないのが最善の対処である。その集団からどうしても抜け出せない状況にあれば、次善の策として、最大限その集団成員との接触や関わりを避けるしかない。
 ある時代のある国、ある地域が比較的卑しい人々の集まりな事はよくあり、別の集団がよりましな徳性をもった集まりでもありうるので、人は自らが初めに属した集団へこだわりをもつべきではない。少なくとも、人生の不幸のうち最大のものが卑しい人のもたらす常なる害悪であるからには、仏教が時に家出を勧めたのはまことに正しい見解だった。卑しい人とくらすからには、その不徳の害を受けるのは必然だからである。ある集団に属する最も合理的な訳は、その集団が移動可能なうちで他より比較的ましな徳性をもつ事にしか求まりえない。