2018年3月20日

平成三大革新

国民を無視した自民党内の皇族閥・薩長藩閥による情実人事、派閥忖度政治を二度と起こさぬよう、旧体制に過ぎない議院内閣制を脱し、直接、行政の長たる大統領を国民投票で公選する大統領制へと移行しなければならない。そもそも地方議員票を総合すればはじめから石破首相が誕生していたのであり、国民の多数は消極的な自民党支持者ではあっても、党首や首相については安倍晋三ではなく石破茂を選ぼうとしてきていたのである。つまり、安倍晋三という党首や首相は最初から、国民一般から信任されてこなかったのである。単なる自民党内での派閥争いが、この醜悪かつ極悪な独裁者を非常に長い間政権の座に居座らせてしまい、結果、日本を致命傷に至らせたのだ。若害衆愚が人種差別や民族差別、また無慈悲と不正義に基づく成金根性の下衆が格差拡大による弱肉強食を喧伝し、民情に与えた害毒は自殺率や幸福度、報道自由度の急落に最もよく現れている。したがってすぐにもこの安倍最悪政治を倒幕倒閣し、少なくとも国民一般がはじめからそう信任しようとしてきた通り、誠実さや信義においてより勝る石破内閣を、進んで民意を汲む小泉副総理の元で早期樹立する必要があるといえる。
 またこの際、既に決定済みであった国会等移転の閣議決定により、栃木・福島地域を主とした常磐遷都を行い、明治退行的な安倍独裁政ではない新布陣の元で、陰に陽に政治干渉を行う世襲の宗教権力者から成る皇室制度、宮内庁及び皇室典範と皇室関連法を完全に撤廃し、国民による国民の為の主権在民の法治原則たる政教分離の新憲法を再制定せねばならない。
 これら大統領制、常磐遷都、皇室撤廃による政教分離憲法の制定は、平成三大革新と呼ぶべきであり、安倍倒幕がこれら新政の第一歩である。
 天皇家、皇族閥には民間宗教法人・神道の祭祀長として再出発してもらい、この後に及んで信仰多様性が当然の地球時代における法理に逆らい、神道祭祀長が国政中枢を象徴等の名目で牛耳る事、また単なる議員や大統領という国民選挙によって選任された公職上の立場を超えて、旧皇族が三権に政治関与する事を一切禁じる憲法上の記述が必要である。これにあわせ、新政府主導で元号の使用を廃し、公文書等に西暦を一貫して用いる世界の合理的慣行を広める必要がある。
 これらを成し終えてのち建設した常磐政府の元で国会革新を行う。先ず県に対して都道府という僭称で地域間差別をもたらす名を正し、全ての自治体は対等な立場だという公理に基づき、各地域住民が自らの自治体を名づける住民投票によって漢字2文字から県名を再選択した上で、47都道府県はみな何々県と名乗るべきである。これら47県が中央集権や上下関係を想起させる首都圏とか近畿という言葉を廃するべきである。
 地方振興はこの県知事からの要望をとりいれ、各県が対等であるよう国会において議論が行われるべきだが、省庁を国土全体へ均等分散させる事は相互に緊密な連携を必要とする際の足枷に他ならない。なぜなら各地の利権が足の引っ張り合いを演じてしまうからだ。文化庁が京都の利権を主張し、他の省庁と対立する様になれば、国政は内紛の渦にまきこまれていく。また既存大都市への省庁移転(例えば京都が主張している双京構想の様な近畿中華思想の焼き直し)は、人口集中の極を二極やそれ以上の数極に限局してしまい、国土の均衡ある発展の為になんの改善にもならない。この事は経済発展と政治体制を混同している政商や政治屋による勘違いの極みにすぎないのであって、特に皇族の政治利用を恥知らずにも行おうとしている現在の京都が首都を僭称しつつ他の過疎自治体群を第二東京として暴利し、見下し、汚辱する中世封建社会への退行に過ぎない。よって世界に誇る自然環境に調和した新都市のモデルとして計画段階から造る常磐京(略し単に都(と)、英語でcityと呼ぶ)へ全省庁をまとめつつ、経済振興面のみに限って全国土の均衡発展を図るべきである。