商業は不幸を生み出し慈善は幸福を生み出す。人は前者を避け、後者のみに生きねばならない。前者の中で生まれ育った者は不幸に親しみ、生きる程に、又繁殖する程に悪い結果がやってくる。後者は僅かなものでも幸福を生み出し、高い程度に至るほど人間性を改善する。商業県、商業国は不幸の源泉であり、そこで暮らす人々は俗悪で、性質は世代を経てますます悪くなる。だから商人の子は卑しく、慈善の子は尊い。
人は商いをするな。人は慈善のみに生きよ。商いなしにくらせない国、地域を去り、慈善によって生活できる場所に留まれ。もし地上にその様な所がないとしたら、自らが慈善の模範となれ。慈善の故に餓死する事は、商いの故に俗衆に親しまれるより幸福である。尊さ故に孤立しているなら、既に救われている。低俗さとはその時点で不幸の目安でしかない。不幸の中であきんどに生まれくる事はただの苦痛である。