聖人の苦しみは俗人の苦しみより遥かに軽い。罪人の苦しみは功徳を積んだ者の苦しみより遥かに重い。貴賎は苦しみの差である。現世の俗人は自体、搾取で暮らす罪人である。商売人はみな搾取罪のつみとがを背負っている。あきんど達、会社員達は彼らそれぞれの搾取罪状に応じて不幸になり、罰としての現実的制裁を受ける。
聖人の苦しみが最も軽い物であると悟り、聖徳に留まれ。俗人の忠告は毒物である。聖人の忠告は良薬である。自らより劣った者の忠告を聴くな。卑賎な者は堕落への誘惑を忠告だと考える。俗人の善意は、彼らの生態に含まれる悪徳の故に、聖人にとって有害な悪意である。調度麻薬中毒者や仕事中毒者、或いは酒色に溺れた者の勧める快楽が有害な様に、品性下劣で愚かな者は上人を地獄へ誘導しながら善行したと考える。だから人は下賎の者と寸分たりとも親しむな。下俗と分かる者の生態を知るな。世々の知恵に上限もない。下限を知ろうとも輪廻の渦はきりがないのだ。ひたすら自ら以上に優れた人物のみを知り、彼らに学べ。
卑屈な者と分かれば猶予なく即座に判断し、会話せず、触れ合うな。それは時間の無駄でしかない。たとえ俗人と話すだけでも卑賎はうつる。商人達や下種な都会人に関わるな。