2016年12月7日

人生の目的

時ある限り哲学を日々完成させ、その道徳にのっとって生きる事が人生の最高の幸福であり、目的である。
 人は、何らかの手段に縛られる事なく、誰かの為に仕える事なく、自らの意思と興趣に基づいて生きる時幸いである。
 俗衆と関わらず、俗衆に奉仕せず生きられるのは高貴な生き方であり、清貧でも、通俗的金満より幸福である。
 生活のため俗衆に奉仕し金を稼がねばならないというなら、最小限度の方がよい。それは堕落なのである。人が高貴な為に貧しいとすれば、その人が最も尊い身の上な事は疑いがない。高貴な人は有徳さの故に必ずや優雅であり、世俗的な事は悪徳の故に絶対的不遇である。俗人は子をなす事を幸いだと思っているが、産む事も生まれる事も苦役に過ぎない。俗人にかかづらうな。金が儲からない事も、儲かる事も苦しい。商いは苦しい。生まれてきた事は苦痛に過ぎない。老病生死を避けよ。愛や怨みをもたず欲せず求めるな。貧しいから死んだとて人はみなしぬのである。富裕の家に生まれても空しさだけがある。貧富を超越していよ。貧しさにも豊かさにも限りがない。自らの持分に満足せよ。欲したり求めたりするな。死にも生にもこだわるな。俗人と関わる事なく暮らせ。生きる為に必要な物を得られないなら死を甘受せよ。無欲であれ。清廉であれ。
 子供を産む親は無知で愚かである。性欲に負けるという悪業によって子ができる。子供を産んだ人を軽侮せよ。この世において尊敬すべき人物は、子供がいない。性欲に負けた人は利己的で有害である。子を為すな。子育ては性欲に負けた悪業の因果であり、苦役である。俗衆は苦役を背負う。聖者は苦役を捨ててゆく。
 商売人は俗人であり、商業社会は地獄である。慈悲の為の商いはない。商人はみな不幸である。商いをするな。商いなしに暮らせない国と社会を去れ。商人仲間を去れ。寄付され暮らせないなら、地を倒れるまでさすらえ。慈悲の故に死ぬのは利己の故に生きるより幸いである。悟って生きる1日は悟らず生きた全時代にまさる。清貧の者に生活保護を与えない悪徳国家、悪の都道府県から去れ。清貧の故に尊ばれる国や県に住まえ。資本主義や自由主義を標榜し、商業を必須にした国々は不幸であり、そこでは死んだ方がましである。利己的な人々の暮らす国、地域、時代からは足早に立ち去れ。商業地を離れよ。慈善を尊ぶ人々と共にあれ。金持ちを尊ぶ人とつきあうな。貧者を慈しむ人とのみつきあえ。俗人は利己的であり、存在自体が有害である。贅沢したがる人とくらすな。悪徳の持ち主と話すな。清貧で悟った人と親しめ。大都市に近づくな。慈善を行え。俗衆の集まる場所は悪徳の巣であり、低俗な文物は不幸の証である。清らかな美は善の故に認める人が少ない。性善の人と親しめ。性悪と関わるな。性はうつる。悪しき快を求めず、喜ぶな。悪しき快は必ず不幸を請求する。悪友を断ち切れ。友にも親にもこだわるな。判断や理解を人に依存するな。人はみな去る。愚者は人をだます。貧富は幸不幸の目安ではない。貧富は尊卑でない。政治権力や組織の上下の肩書きは人の貴賎ではない。人は善の故に幸せである。善人はそれ以上を欲するな。俗の故に富んだ者は不幸であり、その身は落ちぶれ易い。所詮、自分より道徳的に優れた人としか付き合う意味はないので友達は少ないほどよい。
 悪業の果は遅れて来ることが多い。すぐに悪業の返報がないのは、かえってくる時は手遅れになる証拠である。