2016年12月13日

蓄財と聖徳

蓄財した人々は不幸を蓄えたのである。財産への執着は妄信であり、遠からず破滅する。蓄財で不安を解消する事はできず、蓄財すればするほど不安が増大する。最も卑しい暴力で蓄財を続けた天皇一族の不安は最大であり、商人達や投資家達、金持ちはこの不安の為に一生を駄目にする。慢心は蓄財がうみだし、自らの徳を蝕む。蓄財はみな悪である。無一文に留まる人は満ち足りて寝る。清貧な人は慈善に全力を用い、尊き人や聖者らに敬われながら満足して眠る。
 蓄財の為にも生活の為にも仕事するな。生きようと思う心は執着に過ぎずみな打ち砕かれる。再び生まれきた子供は苦でしかありえない命に絶望し生涯苦しむ。仕事を下賎と見よ。なすべき事は元々ない。人はひたすら慈善の思いで生ある間、利他に生きよ。利己心一切を捨てよ。我は無いに等しい。相利の言行を癖づけた者は、利己にもなるという条件さえあれば利他し易い。しかし利他の言行を癖づけた者は意欲があってもなくとも貴い。利己の言行を癖づけた者は卑しいまま生きて苦しみ、憎まれつつ死んだうえ即座に忘れられる。利己の人は他者に有害であり、残された人々にとって一刻も早く忘れ去りたい人だからだ。人は利他の人格に到達するよう生きるべきであり、相利の人格は次善である。従って商人はどこまで行っても、あきんどと見なされる以上に貴くなれない。我執のない人々は政治家にならない。従って政治家は慈善的でなければ徳がないが、力と徳が矛盾するとき力を択ばざるを得ず、永遠に続く勝利はないため暴力への復讐で惨めに死ぬ。善良な政治家は力と徳が矛盾するとき徳を択ぶ為に敗北し、俗衆から貶められる。真の慈善家は卑俗な衆愚に嫌われる為、名声がない。だが彼らの聖徳は貴人に轟く。
 利他の人が相利に生きる事は難しい。聖者が俗人を真似る事は不可能である。罪人は聖者や俗人を真似がたい。俗人は右往左往しつつ相利の商売中に混乱して苦しむ。これらはみな癖がつくったものであり、生まれ育ちのよしあしによっている。商業都市で聖人は生まれ育ちえない。都会で聖人は暮らせない。都会は罪人のすみかであり、商業は俗人の好むものである。人は都会と商業を避けよ。聖人の住まう田舎に暮らし、自ら聖徳を全うせよ。