2013年2月6日

日本の邪悪についての観察

あたまがわるいうえに邪悪で、性的に退廃している東京や東海道、関西、薩長土肥、アジアンハイウェイ、西日本の人間集団にはふれあう価値もないし、近隣諸国がその末裔へつよい恨みをもちつづけるとしてもまこと理の当然であると確信する。それは他ならずかれら南日本人が衆愚であり、悪徳的であるからなのだ。
 日本本土に数万年より生存してきた人間の目にさえそう映るのだから、一体、渡来してきた集団がどれほど邪悪に染まった過去をもっていたのかはかりしれない。少なくとも、こういった集団、いわば神道集団が及ぼす途轍もない錯誤と邪宗のもたらす災厄をかえりみると、たとえ日本列島が地理的にどれほどのあいだ維持されていたとしても、諸外国人は必ずその内部を実見していくはてに絶望もし、失望するだろう。どうしてこの極東の小さな島がこれほど、観察するかぎり朝鮮半島から渡来してきたある集団の域で社会風土的に悪化してしまい、たてなおし様もない程におちぶれてしまったのか理解に苦しむ。一般に日本人集団の中では、人種差別や地域差別という用語の援用で社会観察についての表現は弾圧されるきらいがあるが、後世ではそういった固陋な枠組みもなくなるだろうから、私の意見にもある真相があったと理解されるはずだ。

 こういった南日本の地方にまずはびこり、徐々に周辺をおかしているのは商業主義の慣習で、それは利己と害他を排除の論理で続ける様なある行動類型にむすんでいる。その慣習が浸透した社会の頂点に君臨するのがそこから税という徴収をうける天皇家であり、日本国と現在よばれている諸地域はこの搾取されていく巨大な人種差別と奴隷化の体系なのだ。この構造はいわゆる神道という信仰体系、ある土着宗教にひめられている。そして商業主義が及ぼすあらゆる悪疫と悪い風俗は、この教えと税収増大という点で適合しているのだ。
 日本が悪の体系なわけはその全体が国家神道という皇族と側近並びに税収をもたらす者への人種差別と商業での搾取による民衆奴隷化の社会だからだ。とりわけ、南日本は明治政府という復古政治の発進源になってきたうえ、そのもとで関西や東京と神奈川という膨大な市場をつくったので、この邪悪な全体社会が一層はっきりした姿をとっている。このため住んでいる民衆は知らぬ間にその慣習にそまり、無意識のうちに天皇を頂点とした所得での人種差別にのみこまれるうえ、つねに搾取の業に参加しなければいけなくなる以上、他人を他人ともおもわなくなってしまう。