2012年2月11日

信仰

大阪。名古屋、東京の悪い政治家たち。

 目の前に震災孤児と放射能の心配で眠れない子供がいるのに、俺が一番だと威張り散らしながら我先の競争している。神様の声を聴けば、それらどれもが罠なのが分かる。悪い人に対する罰は、そうでない人への仕打ちより酷い。自然がそうできている。

 被災地支援をしているなんの権力も持たない奉仕者のまん前で、金儲けの借金減税競争。筆舌に尽くせない俗悪さ。東海道が破滅しなければおかしい。悪人しか行き来していないのだ。何の為の大動脈だろう。本当にお金を持っていないのは日本人自身ではないのに。

 倭の天皇の被災地訪問はうまい演技であり古来からの行政の才能だ。本当は被災地に被災者と同じ立場で寝泊りもしないし、すぐに僕らが押し込められた狭く必ずしもすぐれて衛生的とはいえない避難所から逃げ出したのだから。もし聖者なら、家に帰って僕らの税金で世界の誰よりも豪華な寝泊りなどしない。いや、できないのだ。そこで目の前に苦しんでいる僕らと共に働いたはずだ。本当は、心の底で人間を卑しんでいるから平気で嘘をつき、平気で同情しながらさっさと家路に着く事ができる。何と云う邪悪な国家だろうか。いつの古代からくりかえされてきた、なんて邪悪な国政なのだろう。日本とは。
Cameraにわざわざ一部始終を撮らせて、全国放映を目的にして。そのどれもが僕らの払った税金で行なわれた、無益で、心を傷つけていた偽善の儀式なのだ。邪悪な世襲独裁者を崇めなさいと強要させる、奴隷搾取のための。

 被災者を放置しながら我先に権力闘争するくらいなら、一途に祈る方がまだ確かだ。この世ほど移ろい易い世界はないが、信仰は無限に伝わるのだから。ただ、我々に彼らほどの両手に余る金銭さえあれば全てを弱者が救済される為に使っただろうし、これまでも確かにそうしてきたのだ。