多くの世俗物語なるもの、具体的には姿をかえた文章列としての副文化、例えば小説という群像的擬似演劇の筋書き化された文芸領域やアニメーション、テレビドラマ、RPG(Role Playing Game)とか映画の中でかたられる個性の声は演技のうちに生命愛をあらわすのが通常。
この愛という理念は、キリスト或いは救世主の記号をとって古代に言い表され様とされた起源に繋がる可能性が高い。この文化素は、最も帰属的に脱宗教学的に解説してしまえば不義密通の子が己のみが悟った出自への抑圧を、永遠性と調和させた堅固な概念か当時の支配的信教集団のおもいこみを通した人類愛へと自己犠牲的に昇華させたものか。つまり、総じて人類は己の姿に重ねた生命愛の具現装置として劇なるもの、社交界なるものを駆け抜ける。それらには千差万別な差異はあるが巨視すれば一定で、単に地球風の生命への愛情でしかない。慈悲すら生命愛のより知的かつ普遍的な方法論でしかなかった。忠義又はイスラムとしての唯一絶対神への協働共闘の意図も同じく、仲間にうみだす生命愛の姿の方便或いは預託でしかなかった。我々が聖書とやらを丸ですてない限りすべて、人類は古代人から生命愛の様々な種類をうけとるのみだ。最高の賢者とはいえその身を焦がして世界の分析のうえにそれを読み取る