累進系資本商でも有効需要の十分化がされなくなった、とは特にそれが巨視規模でみられるとき真。自治体へ違う人口比率が密度から生じる際に、この違いは更に悲惨な間違いを生む。福島第一原子力発電所の事故は、過密都市化しなかった地帯へ資本商人が悪意から大変危険な暗箱をうりつけて、その社内管理での安易な手抜きで起きた。大津波を想定せず、最悪の事態を未然に周辺自治体やすみびとへしらせず、結果として史上最悪規模の大公害をひきおこしたが、その根本には資本商が悪である、という至極単純な不正さが隠されている。彼ら東京電力株式会社は、より弱い立場にある人間を要するに無碍にし自ら保身しつつ懐を温めてきた。その末路が大人災となったのみ。
社会資本主義の国、つまり累進税が当然な所でもこういう悪い事態がひきおこされるとは、結局資本商のしくみが欠陥な事。累進税は「商習慣への一定の軽侮感情」を啓発し人々の利己心と私欲をある程度抑えたり、持てる者への攻撃や暴力調整を回避させ、いわば資本商の功利原理を緩和させる解放弁ではあった。
しかし、特に基盤産業公営則が守られない時その欠点は極大になるが、固執した利潤追求の意い;おもい自体が市民の不幸と一致してしまう。
(例。誤った方針から民営化され独占事業体とされてしまったJRの客への横柄。同じく郵便事業の民営化で過疎自治体では音信すらできなくなる、不当な採算優先の僻地きりすて。以上から、JALや、改称すべきだが現東京電力などは公営化された方がずっとましといえる。)
結局、基盤産業公有化原則が普く累進税のもとで行われてなお、資本商そのものに有効需要充足への動機の欠けという失点がある。それは大多数の幸福より己のみの富裕を誇る悪風か独裁者の不幸を用いり易い。故に次の二択、乃ち「自由主義」か「改良主義(政は議会で民主社会主義風な政策、つまり福祉優先をとることで)」のどちらがよりこの欠陥を先にのりこえ易いかいえば、それは間違いなく改良主義系の思想。
自由主義下で生じる大量の貧困や不運での脱落は、きわめてまれな成功者の夢ですら補いきれない最大不幸をうみだすのが明らか。つまり自由主義そのものは資本家の横暴をゆるすが、その文明の人々をすこしも幸福へ包みもしないしかえって見放す暴挙に出る。特に、後期資本経済の段階という殆どの基盤産業が寡占化され、管理価格の形成でそれより競争的奉仕向上がみられなくなりだす頃この自由主義のくらい面は拡大されて示されくる。
結論をいえば、今の日本では改良主義による福祉政策を、最大限なかみの透明化された議会での予算の厳重な国民監視のもと、大幅な財政規模に伴う税率向上と、その恩恵たる教育と医療介護の無償と共に行うべき。この道の方が、殆ど景気刺激剤のない段階で足踏みしつづけているより国民へ与えられる福祉の状況(そしてこれこそすべて経世済民の、ありとあらゆる富の究極目的なのだが)は改善していく。同様に、累進税の考えは全ての面で維持促進されねばならない。主要な景気後退の理由は、老成しきった非消費性向層への資本の滞留なのだから。
ある反論が新自由主義側からきて、それは金持ちを国内からしめだして日本を貧しくする、という英国病対策のサッチャー首相と同じことをいいなおすかも。これへ答えれば、日本が貧しいよりも日本人が貧しい方がより不幸な状態と自覚せねばならず、しかも余分すぎる金持ちらしさが必ずしも名誉や国際的優位の指標ではない。つまり国内に天国と地獄の気違いじみた格差を作り上げるよりは、まだ日本とそれ以外との間にそうしておいた方が愛国心に優るといわざるをえない。実際、国際調整は徴税がきかない限りいまだ、福田総理の如く寛大心からのODAなどの善意に頼るしかない状況にあり、完全な権力と軍事平衡がとられる迄はそれだけを国際社交へ期待してはいけない。