既存の形而下系な学び一切、今日では実証主義の影響から科学とよびならされているどの知識もいわば対象学。この対象さをもつ限りでそれらは非形而上学識とよばれう。
もし現代の言語学派がどういおうと、文字や言葉の外にある認識を形而上学が求める限りそれは非対象学、つまり対象なき学か、対象学ではないといわざるをえない。言葉の上にあるものとしての形而上学とは、実はいわゆる言語学でしかない。一切の文芸批評や社会批評へも同じ。
いわゆる理説学、Ideologicsはこうして言語学に回収され語彙知識の一つに定義学野として至る。文芸ならびにその分類の為の研究とみたてた文芸史一般は結局ながさに関わらず定義学野へもどるだろう。