2011年5月25日

随筆

この世で、権力を好む人々がよい判断の持ち主な事実は殆どない。もし希にそういう者がいると、やっかみにあって左遷され疎まれ排斥される。権力者が維持したりえり好む趣味は常に三流。が故権力をもちたがる人々が最高の理想や、よい品々を手にする場面もほぼない。仮にそれをみたり眺めたり聴いたりしても彼らに感動を与えはしない。
 学術界にもつね権力を愛するタイプがいる。彼らは自信のゆらぎ、十分でない才の為に仮染めの位で判断を保留する。世界で最も俗物さをみれるのはこのタイプといえそう。彼らに感動を与えるつもりなら所謂美人投票を利用し相手方を欺く他ない。一般人の水準を更に曇らせた次元で漸く彼らの自慢心は動かされる。
 学園説、アカデミズムに我々がみてとるのはこの牙城で滞留といえる。もし学園説がはびこれば、多くの文化文明が足踏みし行き止まりに迷い込むのも全く然り。