個人資本主義は全人ならぬ凡人を救いたがる一つの勘違いから起こっており、国家の型がここに嵌められると個性は死ぬ。福祉国家の建設が辞められた國々で択ばれる個性は凡庸。だから、逆説だが個人の人生期間を至上とみなす個人資本主義の社会化は、その分業制や専門化を妨げ、より聚に近い層を正当づけたがり実際の量的資本で恵む傾向がある。
彼らの中に「普通が一番」という標語がある。之は個人資本主義の特徴をいいあてており、その長短を余さず凝縮している。普通さは凡庸の極だから。先ず完成された福祉国家は他の個人資本主義国より分業に勝り、時に打ち負かす。資本量の点で力任せの支配はその十分な基礎をうちおわらずに次の需めに移るを得る。之らの企業資本は流動しており、又法人の境なき達から最も安定した国制よりも途上の経過に住み着く。
かくて高度な資本、乃ち資本の質は福祉国家のみに宿る。それは文化資本へ回され、蓄えがきくからだし、国政の工夫で資本量の横暴はより押さえ込み易い。福祉国家の人員は広い交際に向かず、経済成長率は低い。これ故名誉を求める国々は、その虚実皮膜な王権の元の繁栄の誇示つまり虚栄と併せてより強壮な社会を築きたがるが、幸福の眼から生業をみれば名誉ある国々をさしおいて自足に安んずる者にこそある。企業資本主義の経済指向は、多く福祉国家型のそれより遅く限界効用に達する。故個人資本に比べ更に効率が低い。多くの財閥貴族が寡頭政を企み早々と堕落するのも、企業資本経済の悪禍。時めく彼らは法人名にしか意義を残さず又その栄光も永遠でない。彼らの意向は現世価値に一切合切が限られる。この領域で仕える限りの貢献をする。それは職人芸と言える。
社会資本主義は、事実上福祉又は公的扶助内の企業累進課税説のいいかえ。租税率を個人間で抑えた侭資本解放を進めるとその形に至るが、投機の達の為国土は頻繁に姿を変え易い。しかしながら、福祉の級でいえば彼らは最高のそれを味わう。世代交代比率の高さが最も激しいのも彼らについてで、なぜなら旧態は即死を意味し、或いは敗退し僻地においやられるから。高い知能と計画性はここで最大限の発達をするだろう。人類が進化した生態やその後の姿を具現化し発揮する機会も、多くは世代交代比率の甚大なここで初まる。