鈴木雄介ブログ
2011年2月8日
判りの意図
道徳にいいえることはみな知識の間にある筈。この知識間判断か物分かりが道徳の本質。
個々の知識にはそれらの間の判断へのきっかけがない。故に論証的な判定により実証できた各認識への注釈がいる。道徳の本質はベーコンの考えた帰納法からはえられない。寧ろそれらの実証知識から導かれうる外部からの判断こそ事の真相。
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