2011年1月21日

東北物語

僕は今より少し昔、とても綺麗な物ばかりみていた。
汚い物は殆ど外からやってきた。何度も書くけど、結論をいえば天皇の所為なのだろう。

天皇はやくざの親分として奈良の都を造った。そしてその時中華思想を幾らか輸入し、自らを天子に見立てたのだった。
やくざの本性は支配欲だけだ。だからどこ迄も増長する。

 僕は天皇の近くには住んでいなかった。僕の住んでいた場所は穏やかで、平和で、人々は利己心を特に信奉もせず、単純にいえば楽園に近かった。そこは幾分かの野生さはあったが、決定的な悪業はみたことがなかった。多くの人は他者を虐めもせず適当な距離に置いていた。彼らは笑いあったり、笑わせたりしながら先人の道に随っていた。
野口英世の生家をみた時、僕はそういう先祖の本質を知った。彼らは平和主義者である許りか平穏で善意にみちた生涯を見据えていた。彼らは純粋であり、悪党をみたことがなく、程度こそあれ朴訥だった。

そこへ天皇の一族がやってきた。彼らは源氏物語や古事記を聖典に我々を蛮族扱いした。村上春樹という姦淫小説の作家が、2chで散々東北人をけなす。こういうことだ。彼ら関西人は道徳どころかいかなる善意にも関心はなかった。淫乱を信奉し、あちこちへ飛び火して悪徳を撒いた。

 九州にいた薩摩隼人は知性に問題がある。だから、猪突猛進に彼ら関西人へ協力した。大義名分など一切ない。自分は断言できるが、彼らの末路は悲惨だろう。僕がみていた「綺麗な場所」は彼らによってまさに悪化した。そこには南蛮の風習が入り込み、姦淫を商売に仕立て、人民の悪習から税金を搾り取る天皇一族の風俗が入ってきて嘗てあった素晴らしい調和は破壊された。
だが、人類が求めてきたのは「綺麗な場所」なのだ。多くの精神はそこでしか安住できない。

僕の先見が正しければ、天皇一族は薩摩隼人と共に滅びるだろう。僕が住んでいた綺麗な場所は彼らによってよごされていった。だが、その地へ彼らの種が根付くことはない。なぜならば、あしき天子は必ず革命されるのだから。