2011年1月19日

神戸人の悪徳

神戸人は無視せよ。之が奴らのばらまく悪徳への最高の処方。
 神戸人は、目立つ為に周りの優秀な者の足を引っ張れる丈引っ張る。この為に誰からも同情されず、末路は極めて悲惨である。仮に少々世へ打って出ても地位に安住できないのは当然。
神戸人の人生観は「何としても目立ちたい」であり、その本性は大阪人と恰も相似だが、浪速の商魂をもつ機会が微妙に少ないので、何かしら別の手段に訴える傾向がある。

 神戸人は友情の観念がない。全ての魂は性愛の追求でできており、しかもそれは大層堕落したもの、つまり獣類じみた肉欲でしかない。だから神戸人には永久に、家庭的幸福は訪れえない筈。但し、彼らはその状態に適応しているのであり、周りへ悪習と悪質な性風俗の蔓延をまきちらすのに終始して死ぬ。揚句に彼らは極めつけて口達者なので、「地域性は個性ではない」を旗標にどこでも身柄を狡猾に隠す。だが特に幼年期と老年期にその鞘は自然に剥がれてき、周りの侮蔑や堕落を徹底して招くので解る。

 神戸人は周囲の気を引く為ならいかなる悪業にも手を染める。いかなる汚臭と卑猥、醜い愚にみちた生業でも平気で行う。彼らの中では大抵、自重よりも「目立ちまくる」事の優先度は遥かに高い。
 故神戸人と見分けたなら、どんな風変わりで耳目をそばだてがちな行いを目の前で絶えず異様にしていても、冒頭にいうごとく底抜けて完璧に無視せよ。この無視度が高い程奴らの自滅は速くなるであろう。